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何故人生に苦しみ、悲しみ、無念、病気、不幸などが起きるのか


お早うございます❤︎

「守護霊様やご先祖霊様が見守ってくれてる筈なのに、

どうして私はこんなに苦しまなきゃいけないんだ!」

「私だけ!私ばっかりこんなに苦しい……。」

そんな風に感じたことはありませんか?



私、あります。


人様より身体も弱く、心も弱く、さらにちょっとした

障害を抱えている私は苦しさのあまり、自分が

死のうとするのを必死に押し留める時期がありました。

もう10年以上前のお話です。


ギリギリの所で持ち堪えたのはスピリチュアリズムの

こんな考え方に脅されていたから。

“自殺するとその苦しみを何度も何度も

味わうことになる”……!


凄い脅迫文だと思いませんか?(笑)

お陰で、それだけは絶対嫌!と踏み留まることが

出来て、今では幸せな家庭も築いています❤︎


見守られているのに苦しみが起こるのは

何故なんでしょうか。


それは私達がこの物質世界(地上)に生まれて来た

理由を考えると解ける問題です。

こちらを参照されて下さい。

私達は様々なことを体験して霊的に成長する為に

生まれて来ました。

人生の悩みや苦しみに敢然と立ち向かって、克服し、

力強い人間となることが求められているんです。


何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが

旅する魂の本来の姿となります。


じゃあ霊界の人達、守護霊様やご先祖霊様達は

何をしているのかと言えば、助けたくても我慢して

手をこまねいて傍観してたりします。

苦難から教訓を学び取って、霊的に成長して欲しいと

心から願ってのことです。


手を出さないという愛し方はとても大変だと思います。

道で転けた我が子を、信じて手を出さずに

立ち上がるのを見守るお母さんみたいなものです。


悲しみは数ある体験の中でも特に

魂の目を覚まさせるものだそうです。

悲しみ、無念、病気、不幸などは地上の人間にとって

教訓を学ぶための大切な手段なんです。

そして、もしもその教訓が簡単に学べるものなら

大した価値はないということになってしまいます。


悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べる、

だからこそとても深い価値があると言えるんです。


魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。

大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、

最善を尽くして、見守ってくれる大霊の力に

全幅の信頼を置くことです。

動機が純粋であればどんなことをしても

被害を被ることはありません。

そして、人の為にという熱意に燃える方には

必ずチャンスが与えられます。

焦らず気長に構えましょう。


霊界の人達は信念と平静の雰囲気の中で初めて

人間と接触出来るそうです。

(だから霊能力開発には瞑想するんですね!)

恐れ、疑惑、心配、不安は霊界の人達を遠ざけます。

気を付けねばなりません。


鼻歌まじりののんきな暮らしの連続では、

自身の中にある神性の開発は望めません。

苦労、悲しみ、痛みを体験して初めて、

霊的知識を理解する素地が出来上がります。

そして一旦霊的知識に目覚めると、

もう二度と失うことはありません。

それを機に霊界との強力な繋がりが出来て、

必要に応じて、霊界から力、影響、真理、美、

インスピレーションとかを引き出せるようになります。


「そうは言っても、楽して生きてる奴いるじゃん!」

となりそうですが、そうです。

この地上ではどうしても、不公平と不正と邪道と

力の支配と真理の敗北が目についてしまいます。


けれども、因果律というものは必ず働きます。

因果律は必ずしも地上生活中に働くとは限りませんが、

きちんと一分の狂いもなく働きます。


前世からのカルマなどを聞いたことはないでしょうか。

霊的尺度で見れば、きちんと因果律は働くのです。


とはいえ、苦しみの真っ最中に

不安を抱かないなんて難しいですよね。

私はタロット占い師なので、タロットで

貴方の悩みの糸口を探ります。

ココナラにてご依頼お受けします。

お気軽にお声掛け下さい。


今回の記事は『いのちが危ない!スピリチュアル・カウンセラーからの提言』と『シルバーバーチの霊訓(一)』の三章なぜ苦しみがあるのかを参照しました。



さらなる勉強の為に大切に使わせて頂きます。