初めての開催、そして2000万円以上の赤字に

僕らが主催していた野外フェスティバル、”TAICOCLUB(タイコクラブ)”を知らない方も多いかと思いますし、知っている方や遊びに来ていただいた事がある方も立ち上げ当初の詳細はあまり知らないと思いますので、まずは開催に至るまでの概要を簡単にお話していきますね。より詳しい話は次回以降に。

きっかけ

2005年8月末。当時29歳だった僕は伊豆にある”自転車の国 サイクルスポーツセンター”で開催されていたMETAMORPHOSEに、TAICOCLUBを一緒に立上げる事となる友人A、友人M達と遊びに行き、いつも通りフェスを楽しみつつも会場全体を細かく見ながら「これぐらいなら自分達でもやれそうだな」と思ってしまいました(※これは完全に勘違いでした)。もっと自分たちが楽しめるものをやりたいという気持ちと、まだフェスが少ない状況で始めれば絶対に多くの人が来場してくれるに違いない、絶対に儲かるはずだ!と。この勘違いから僕達3人は音楽フェスティバルの開催へ向けて企画を進めていく事になります。初開催となった2006年6月までたった9ヶ月しか無いのに。

それからは僕を含め3人共に別で仕事をしたため、夜な夜な集まっては企画を詰めていきました。今みたいにクラウド使って資料を共有したりオンラインミーティングが簡単にはできなかったのです!その中で大きく分けて次の3つを進めていきました。

1. 会場探し
2. 
企画制作、パートナー探し
3. アーティスト選定

具体的に1つずつ見ていきましょう。

1. 会場探し

実績が皆無の僕らが一番苦労した点の一つ。開催まで9ヶ月しか無い中で会場が決まっていない!今となっては考えられない状況ですが、「こだまの森」に決まったのは2005年12月末を過ぎてから。いくつもの会場に電話をし、資料を送り、Google Earthで会場周辺を確認してやっと受け入れてくれそうな会場に巡り遇えたのです。それからは会場に何度も足を運び、僕らが何者で何をやろうとしているのかを説明し続けました。

会場サイドが完全に了承してくれた状況ではありませんでしたが、一応やる方向で話が進んでいき、ここからやっと本格的にコンテンツへも目を向けていく事ができるようになりました。とは言っても過去にこだまの森で開催された野外レイヴにおいて様々な問題があったため、村の方が10名近く集まる村議会にてゴミ処理/警備体制/トレイの状況/駐車場/交通整理/救護体制/騒音対策など想定される問題への対応方法に関して説明をしたりしました。(この場に僕は仕事の都合上行けなかったと記憶しています。)

この状況下で最も大きなポイントになったのは、当時の会場施設の代表者であったKさんが「若者が何かやろうとしているのだから」と僕らのことを後押ししてくれた事でした。多くの人が反対している中、この方に僕らは拾われたのです。Kさん、あの時は本当にありがとうございました。僕自身も42歳になり、これからはもっと若い人を信じて任せて挑戦できる環境を作っていくと決めた、大きなきっかけになっているのは間違いないです。

2. 企画制作、パートナー探し

完全に”ド”素人な僕らは開催に必要な業務が一体何なのかを知るために、その当時に開催されていたフェスティバルのサイトを片っ端から確認して、主催、開催地、協賛、後援、協力会社などの情報をまとめていきました。そこから協力会社さんへ問い合わせをしていく中で、また一人のキーパーソンを紹介していただける事になります。ステージの施工管理や進行管理を担う”舞台監督”のIさんです。何もわかっていない僕らはIさんを介してステージ制作に携わる多くの協力会社さんと一緒にTAICOCLUBの会場を作っていく事になります。音響、照明、楽器、電源、デコレーション、映像、ステージハンズ。この多くのスタッフの皆さんのお陰で、いよいよこれは本当にフェスティバルやれるんじゃ無いか?と想像ができるくらいになっていきます。Iさんに出会ったのは2006年2月、開催までもう4ヶ月。

そして、開催に向け2006年2月20日に僕が500万円を出資してTAICOCLUBを主催する会社、”こいのぼり株式会社”を立ち上げることになります。会社の名前の由来は立上げメンバー3名の苗字M、A、Yから5月から連想される縁起の良さそうな言葉から決めました。もう後戻りはできません。

この次の課題は実際にお客さんへの対応ってどうするんだっけ?となります。来場していただいたお客さんにリストバンド渡したり、場内を案内したり、駐車場を案内したり。そう、”運営”をお願いできる人がいません。野外フェスティバルの運営をやっている会社なんて、当時は全然ありません。困っていた僕らは舞台監督のIさんから運営のIさんを紹介してもらいます。このIさんには12年間、計16回全てのTAICOCLUBでお世話になる事になります。僕なんかよりも確実にこだまの森の事を理解していると思います。このIさんに初めて会ったのは2006年3月27日。開催まで残り2ヶ月の段階でやっとフェスティバルを主催するベースが見えてきます。セキュリティスタッフ、警備員、エントランス、ステージのサポート、ホスピタリティ、本部など会場内をスムーズに動かしてくれる頼もしい存在です。

それでは開催日をなぜ6月3日(土)、4日(日)としたのか。2006年頃には音楽フェスティバルと言えば”夏フェス”で、春には数えるくらいしかありませんでした。そこに勝機を見出しつつ、こだまの森は標高が1,100mもあり桜が5月頃に満開となるくらい夜が寒いので、できる限り夏に近く梅雨入り前の限界で日程を決める事にしました。6月というとイメージ的には梅雨ですが、実際に1996年から2005年までの気象庁の過去の気象データを検索してみると一週目は雨が少ないことがわかりこの日程で勝負する事にしました。

3. アーティスト選定

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初めての開催、そして2000万円以上の赤字に

Taro Yasuzawa

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Taro Yasuzawa

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コメント1件

興味深い記事でした。ありがとうございます。次回更新を楽しみにしてます!
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