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便利屋の私

※個人的なお話になるかなと思うので、長ーいひとりごとだなと流してもらって構いません





「努力は報われる」


この言葉を信じなくなったのは、高校3年生の春だった。
正確に言えば、信じなくなったのではなく、"どんな"努力も報われるわけではないと理解した。
励みに励んだ受験勉強。スマホも捨てた。毎日10時間は勉強を続けて、今日くらいはなんて言って自分を甘やかすことはないくらい頑張った。結局は、7つ受験して1つしか合格はもらえなかった。
あの時勉強していれば、スマホを早い内から手放しておけばなどという後悔は、一切なかった。できる努力は全てやり尽くした(はずだ)し、だからこそ、この結果をどう受けとめて良いかわからず、こんな捻くれた理解に至ってしまった。



高校卒業という人生のうちの数ページに幕を閉じるとともに、努力は必ず報われるわけではないという知見だけをポケットに入れて、大学へと進学した。
全力少年ならぬ全力少女だった(小中でよくある毎日日記のようなところに、「全力」と「一生懸命」を多用していた。そうすることが最適解だと信じていた)私は、ここから”便利屋”へと変わってしまう。



自覚したのは、大学2年生の夏だった。
地域密着型のインターンのようなものを、大学のプログラムを通して参加していた。少人数グループで行うもので、私のいたグループは4人で構成された。活動が進むにつれて、企画案を出したり営業マンのように直接お店に出向いたり企画を実行に移す準備をしたりと忙しさが増していった。これら一連の流れには締め切りが付随していて、いつまでに企画案を出すようにという具合に提携先の企業から連絡が来ていた。



締め切り。
当日の午前0時までに出せばいいという考えは、あいにく私は持ち合わせていない。締め切りまでに自由な時間は必ずある(少なくともこの忙しいインターンに参加する以上、時間があるから始めた人の集まりだろう)はずなのに、なぜ締め切りギリギリを攻める必要があるのか、申し訳ないけど理解ができない。
この考えは一般的な大学生にとっては、なかなか稀なのではないかと思う。だから、グループ単位の活動となると協調性を手放してしまいたくなる。



みんなが私と同じ考えじゃないこと、バイトや他のことで忙しいことはもちろん考慮したい。あまり急かすような連絡もしたくない。それにしても、締め切り三時間前まで企画書も完成していないのに連絡を誰一人返してくれないのは、こちらの努力も悲しいほどに散ってしまう。昼前、夕方、夜(締め切り三時間前)に連絡をいれて、さすがに返信が来たかなと見てみると、その期待も泡となった。



綺麗な一人グループラインが完成していたあのトーク画面の虚無空間は、なんとも言えなかった。
どうにもかくにも、締め切り数分前に滑り込みで完成させた企画書は穴だらけになるに違いないから絶対に避けたい。私一人で進められるところは進めてみようと企画書に手を付け、他に情報や意見を足すことはないかグループラインに送ってみる。


「いいと思う!ありがと~」
「めっちゃいい!」
「助かるほんとありがと!!」



ようやく返ってきた返信を見ても、私は一人なんだなと思った。
勝手に作業を進めてくれる便利屋みたいなものなのかなと思った。
グループの人たちを責めるわけじゃないし、実際私にはない意見を出してくれることもあって助けてもらうなんてこともあった。ただ、活動が終わる頃、"みんな"でやりきった達成感は、当初の期待を相当下回るものだった。



そして今、また私は便利屋になろうとしている。



「誰かやってくれるでしょ」
「なんとかなるからさー」


なんとかなる理論を掲げてる人。確かに、今まで窮地に立たされてもなんとかなったんだろうね。でも、なんとかなると口に出しただけで何も行動を起こしていないなら、なんとかなるように動いてくれてた人がいたのかもしれない。便利屋のように動く人は、便利屋になりたくてなっているのだろうか。本当は、誰かの助けも必要だよって声にならない言葉を抱えてるんじゃないのか。
こう考えるようにするだけでも、世に生まれた便利屋は少しずつ供養される気がするんだよね。






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