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クリスマス、中央線。

会社からの帰り、東京駅から中央線に乗ろうと思ったら、ホームに停まっている電車がなかなか発車しない。
なんでも、停まっている電車の3号車にて「お客様同士のトラブル」が発生しているとのことで、電車を動かせないようだ。

私が立っていたのはその号車からだいぶ離れたところだったので事の仔細は分からない。こういうときインターネットというかTwitterは便利で、すかさず「中央線」と検索してみる。すると、折り返し乗車(前の駅から終点まで乗ってきて、そのまま車内に留まることで折り返しの始発に座ること)をしようとした男性と、それを咎めた男性との間で小競り合いになったらしい、ということが判明した。

折り返し乗車をしようとした男性は、よっぽど座って帰りたかったんだろうな。降りる駅、だいぶ先なのかなぁ。
それを咎めた男性は、正義感から折り返し乗車がどうしても許せなかったのかなぁ。それとも、ご自身がホームで待っていたのにも関わらず間一髪で座れなかったことで腹が立ったのかなぁ。

まさに事態が進行している現場に居合わせつつも、距離が遠いために詳しいことが分からない、という状況から、ついつい様々なことを想像してしまう。

「何もクリスマスの日にトラブルを起こさなくてもいいのに。」
そう思う気持ちがなくもないが、いや、もしかしたらむしろ、クリスマスで浮かれる街に苛立ったからこその小競り合い、という可能性もある。人の行動や心理というのは、他の人からは計り知れない事情によって引き起こされたりするものだ。

そうこうしているうちに、どんどんとダイヤが乱れていく。不謹慎だが、たった2人の間の出来事が、帰り道を急ぐ何千・何万の人の足に影響を及ぼしていく様子がなんとも都会的で、感動のようなものすら覚えてしまった。

でも、それもこれも、私が電車を何本か見送ることで座席に座れていたから。これが、すし詰めの電車の中でもみくちゃにされていたら、ひたすら怒りを増幅させていたことだろう。我ながら、自分勝手な人間である。

一方で、クリスマス当日なので、プレゼントやケーキを買って電車に乗り込む人も多かっただろう。せっかくのプレゼントやケーキがダイヤ乱れによる混雑でぐちゃぐちゃになってしまったならば、本当に気の毒だ。

たった2人の間に起こった出来事は、いくつもの家庭の楽しいクリスマスを一変させてしまったかもしれない。

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