"labor"と"work"ー「働くこと」の2つの意味

今日は、かつて教えを請うた師の言葉に触発されて「働くこと」について少しだけ考えてみたので、記しておきたい。

ひょんなことから、大学時代に講義を聴き、卒論の指導もしていただいた先生のお名前をGoogle検索してみた。
先生のご専門はざっくり言うとフランス現代哲学でいらっしゃったのだが、「哲学研究」に留まらない現代社会全体に対する深い考察と、飾らないお人柄が大変印象的であった。

いくつかのページを見ていくうちに、以下のインタビュー記事にたどり着いた。

2014年7月だからもう4年前のものだが、「残業代ゼロ制度」などに関連した「働くこと」がテーマの短い記事だ。

先生は「働く」の2つの意味に注目している。
すなわち、"labor"(レイバー)と"work"(ワーク)である。

"labor"はラテン語由来で、「苦役」というマイナスイメージを持つ。
一方の"work"はゲルマン語由来で、「自主的に活動する」といったイメージを持つ。
そう定義した上で、以下のように述べている。

「非正規雇用、ブラック企業、長時間労働、過労死、低賃金など、以前に比べ、現在の働くことは、『苦役』という側面がますます強くなっている。レイバーとしての苦役の現実で、ワークだからと成果を求められたらどうなるか。奴隷にむち打つようなものだ」
「もちろん、レイバーとワークは混然一体で、働くことの楽しみも、苦しみの中にこそある。[…]本来、働くとは、自分の人生の幸福を実現するための活動だ。それを妨げようとするものに対して、働く者は闘わなくてはならない。それもまた、意味のある『ワーク』といえるだろう」

インターネット上では、組織から離れ、自分の好きなこと・得意分野で収入を得ることで、幸せに暮らしている人たちに多く出会える。
彼らも、(私のような)組織で働きながらどこか居心地の悪さを感じている人間と同じく、何かしらの形で「働いている」ことに変わりはない。ブログ執筆、情報の販売、投資…どれも確かに仕事だ。

先生の言葉に従うならば、彼らと我々を隔てる決定的な差は、「レイバーとワークの比率」なのかもしれない。
最近どこかで、「好きなことだけをして生きていく」ことの甘い罠について注意喚起する文章を読んだ。「組織から離れれば、自分で何もかもしなければならない。日々の経理や営業活動、事務手続等々もこなす必要があり、『苦手だからできない』とは言っていられないのだよ」というような内容であったと記憶している。
これはたしかに真理だろう。だが、組織にいた時と比べて、仕事における「好きなこと=ワーク」の割合が「苦手・嫌なこと=レイバー」の割合よりも大きくなっていれば、人はそこに幸せを感じることができるように思う。

今の仕事に違和感があったり、悩み苦しんだりしている方も多いだろう。そのような方は、例えば転職を視野に入れた時、「ワーク」の割合を少しでも高められるような方向性を検討してみると何か道が見えてくるのではないか、と考える次第だ。

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あどけない話(夜のエッセイ)

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