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その明るさは食卓を照らせるか ~ 農業研究家

 黄昏の頃、その客人は来店した。
 
 淡い緑色の作業服。日に焼けた肌にそれがよく似合う。背丈にも恵まれ、根菜類のような顔立ちである。ただし、なかなかハンサムな根菜類。
 いらっしゃいませと出迎えると軽い笑みを返し窓際のカウンター席に腰を落ち着ける。
 水とおしぼりが運ばれると、カレーはまだありますか? と問いかける。完売してしまいましたと告げられると少し残念そうな顔をして、ではスコーンと珈琲を、と笑顔を取り戻して注文を終える。
 
 イワイシさん。農業研究家。
 
 今日は田んぼの水が溢れちゃいましてね、その復旧に大変でした。
 そんなような出来事を明るい表情で話してくる。非常に明るい男性である。さもありなん。植物は明るいものが好きである。
 
 有機栽培の方法を研究し実践している。
 農薬や化学肥料を使わずに行う栽培方法。ポイントとして挙げられるのは化学的な肥料は使わないということ。これはつまり、それ以外の有機肥料は使うということを意味している。そしてその部分こそがイワイシさんが日々精力を注いで追及しているものでもある。
 
 例えばトマト。東海エリア辺りだとお盆を過ぎた頃から流通が減っていく。この時期になると季節的に生産に適さなくなってきたというわけである。しかし全国に目を向けるとそんな季節でも生産を続けている地域もある。
 違いはどこにあるのか。
 温度変化はもとより土壌成分のデータなどを細かく分析する。そこから導き出された数値にこれまで蓄積された経験や知識を加味して突飛とも思える新しい挑戦をしていく。その結果、トマト畑には大量のコーヒー豆のカスが撒かれたりする。
 
 最終目的としては、いかに安全で美味しい農作物を食卓に届けることができるか、である。
 
 有機栽培の農作物が健康に良さそうで美味しそうなイメージは容易に想像がつく。しかし誰もが手軽に入手できる世の中ではないのも事実。
 農薬や化学肥料を使用するのにはやはりそれなりに理由もある。手間とコストが大幅に削減できるからである。その恩恵は比較的安価でいつでも農作物が手に入るということ。
 そういった側面に真向から挑んでいるのが有機栽培といえる。これは新しい命をどういった食材で育てていくかという食育理念や、不安定な国際情勢を背景に昨今問題視されている食料自給率などにも少なからず関係してくる。
 
 たまに思うんですよね、自分がやっていることはただの自己満足なんじゃないかって。
 
 ふと、そんな言葉がイワイシさんから漏れたことがあった。
 それでもいいんじゃないですかね、と気の利かない言葉を返して淹れたての珈琲を差し出す。イワイシさんは静かにその香りを嗅いで口元に笑みを浮かべた。
 
 今晩は夏野菜を少しばかり塩で揉んで泡盛でも飲みたいなと、ぼんやり思った。イワイシさんが携わった農作物が日本中の食卓に並べられることを願いつつ。


本日のお客様

イワイシさん
公益財団法人 自然農法国際研究開発センター


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