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お好きでしょ、こんなのも……!?

お嫌いですか、ロボットは?#100 これぞ職人技、いや神業?(下)


――いらっしゃいませ。
 マスター元気? いやあ、今週もほんと疲れたわ。先週は顔を出せなくでごめんねぇ。

――おや? 今夜もお疲れのようですね。目なんか、くぼんでますけど大丈夫ですか?
 いや、そうじゃないんだよマスター。今週はあれやこれやで3回も東京に日帰り出張を強いられちゃってさ。新幹線でうとうとして目が覚めた時に、オレは今どこからどこに向かっているのか分からなくなって慌てたよ。ホテルにでも泊まれば身体も楽なんだろうけど、あれやこれやとこちらで先に予定も入っててさぁ。ビジネスホテルだって、東京は結構いい値段するしね。出張すればしただけデスクワークもたまっていくから、悪循環でどんどん忙しくなるんだよねぇ。

――いつものでいいですか? ジャックソーダで。
 うん、頼むわ。レモンをぎゅっとしぼってね。えっと、今夜のおすすめは「下田産キンメダイの煮つけ」って、先々週とは真逆に一気に和食に振ってきたね。でも、和食ってウイスキーに合うからオレは結構好きなんだよね。煮魚って子どものころは苦手だったけど、今みたいにれっきとしたおじさんになると、無性に食べたくなるんだよねぇ。できれば、中国やシンガポールの人には内緒にしておいてほしいよなぁ。彼らにおいしさが伝わっちゃうと、ウナギやサンマみたいにオレたち庶民には手が出せない高級魚になっちゃうからなぁ。高級と言えばそうそう、このまえ、先々週はたしかカメラの話をしてたんだっけ。ライカの話だったよね。Mって有名なシリーズの11にリポーターモデルが出たらしいけど、1台が130万円とか150万円とかするのに「入荷待ち」のままで、公式サイトでも購入ボタンが押せないらしいんだ。一体どんな人が買ってるんだろう。少なくとも、オレの周りにはいないんだよなぁ……。


 オレがむかし神戸に赴任してた時に、伝説の報道カメラマンと親しくなってね。本人はそう呼ばれるのは好きじゃなかったみたいだけど。名前はたしか、えーっと、モトマツさんって言ったかな……。そうそう、モトマツ・ユキトシさんだ。この前の話の大半は、彼からの受け売りなんだ。オレは知らなかったんだけど、報道関係者が店に来て彼を見つけると、みな一様にぴくッと反応して頭を下げたり、目礼するんだ。

 どうも、若いころに海外の通信社の契約カメラマンをやってて、その後全国紙のカメラマンに転じたらしい。東京本社に長くいて、その後神戸に転勤してきたときに、三宮の居酒屋でたまたまオレと隣の席になって出会っちゃったらしい。ワインに詳しくてねぇ、どうもむかしフランスに住んでたこともあったらしい。ビストロだとかのしゃれた店に連れていかれた時に、オレなんか赤と白ぐらいしか違いが分からんから。勧められるワインを、うまいうまいって飲んでたら横で苦笑してたよ。

 で、何でモトマツさんがなんでレジェンドかって言うと、どうもその海外の通信社時代にとんでもないスクープ写真を撮って世界をあっと言わせたことがあったらしい。

 東南アジアのどこぞの国、タイだったかフィリピンだったか、の大統領候補だった国会議員が搭乗した飛行機に銃を持った兵士が乗り込んで来て、そのまま機外に連行された。タラップを降りてる時に暗殺されたんだ。議員が席から連行された時に勘が働いたモトマツさんが立ち上がった時に発砲音がして、ドアの前で他の乗客を見張ってた兵士の視線がそれた時に、開いたドアからカメラを持った腕を伸ばしてノーファインダー、つまりファインダーをのぞくことなくシャッターを切ったらしい。

 残り何枚かしか残っていなかったフィルムの中に、タラップの下で血まみれになって倒れた議員の姿を映したコマがあったんだ。それが全世界を駆け巡り、新聞や雑誌、テレビでも使われるスクープ写真となったんだ。

 もっとも、当のモトマツさん自身は、その話を自分からすることはなかった。モトマツさんに頭を下げ、目礼してた若いカメラマンを別の機会に問い詰めて教えてもらって知ったぐらい。モトマツさんに、ホントなの? って聞くと「まあね、偶然だよ」なんてさらりとかわされたぐらいかな。

 瞬発力が勝負のスポーツカメラマンや報道写真家というよりは、ホントはじっくり人物を撮るのが好きだったみたい。東京でも外国の要人とか文化人なんかのポートレートを撮ってたらしいよ、雑誌の表紙に使うための。いくつか見せてもらったけど、みんないい表情をしてた。神戸勤務時代は王子動物園に通い詰めて、動物のオリの前に置いた脚立の上から、望遠レンズを構えてじっとカオの表情を狙ってたっていう、ちょっと変わったところもあったんだ。週に一度、夕刊に動物ものの連載を持ってたよ。

 で、話はずいぶんそれたけど、ここからが本題なんだ。カメラのシャッターボタンを押すヒトの指先ってのはロボットはもちろん、精密な測定機並みの性能が備わってるんだ。圧力とか、指先で感じる摩擦の振動、柔らかさや温度の違いなんかも敏感に感じ取れる。感じ取れるようにたくさんの神経細胞が高密度に詰まってるんだ。

 そこからもすごいんだけど、指先から脳に向けては超高速の電気信号(パルス)で送られて、手触り感の微妙な違いを見分けているんだ。ヒトによって髪の毛の太さって違うじゃない。こっちの方が太い、細いって言うのは簡単だけど、指先でマイクロメートル、つまり100分の1ミリの違いを感じ取れているんだ。しかも瞬時にね。

 これをじゃあ、センサー類を測定機やFA機器に置き換えてロボットハンドに置き換えようとしたら、何百万円じゃ済まないぐらいのカネがかかる。つまりヒトの指先って何百万円、一千万円代の高機能なんだ。オレもマスターも、そんな指を10本も持ってるんだ。普段はそんなこと意識してないけどさ。すっごいだろう。

 そうそう、今じゃ五輪やW杯なんかの報道現場で使われるカメラだって、ロボットで操作される時代になったらしい。ちょっと前まではカメラマンがパソコンのモニター画面を見ながら、シャッターを切る瞬間を待ってたらしいけど、今じゃAiが判断するんだってさ。瞬発力重視のスポーツカメラマンは、重宝されなくなるのかもしれない。そういう意味じゃ、新聞社を定年退職して今はフリーになったモトマツさんみたいなカメラマンが、今後再び重宝される時代にかもしれないね。いい表情をした選手の写真を、見てみたいじゃない。


――そのモトマツさん、レジェンドだなんて言われずに、じっくりと写真を撮る写真家人生を送りたかったのかもしれませんね。たにがわさんと気が合ったのも、おんなじ職人同志だったからじゃないですかねぇ。王子動物園の動物の写真は、一度ぜひ見てみたいですね。。まだまだ話は尽きないようですね。今夜もとことん、お付き合いしますよ。

■この連載はフィクションです。実在する人物や企業とは一切関係ありません。

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