断末魔♪「しめこのうさぎ」だ♪

1週間前の月曜日、「困ったこと」があった。
えっ?!いまここで判明するの?!時間はいっぱいあったのに、なんの手も打てないここで?!
なんかできることはあるか?と考えるまでもなくわかりきっているのに一巡考えてから、ない、はい、ありません。
ありゃありゃありゃ、わたしらしいと言えば極めてわたしいらしい、ん。だけど不思議。このごろハイヤーマインドが小まめに気づかせてくれるから、忘れものしないし探しものはすぐ見つかる。ありがとう♪ありがとう♪って、ほんと助けてもらってる。土曜日はとーってもいい日だったし。寒くても苦にならなくて存分に歩けた。働いてる若い人たちがなーんかゆたかな感じのお店で休んで、梅の香りをかいで、仄かにあまい香りの桜に出会って、あの神社もお訪ねできたし、歩いて歩いて歩いたー。あー、おもしろかったって帰ってきて、足三里にお灸する元気もあった。完璧。それがこんな困ることを放っておく?
ハイヤー💛は意地悪なんかしないから、このまま進んでみよってことだな。
あわあわしたけど、ちっとも嫌な気持ちになってないな。むしろおもしろくなってる。
バシャールさんが「見せてもらいなさい」って、よく言ってるもんな。
そうか、見せてもらえばいいのか。
くすぐったいような心持ちで見に行った。
結果、困ったことにならなかった。

木曜の午後に「ショックを受けて非常に傷つき」自己破壊的心に転がり落ちた。その場は平気そうにやり過ごして、ひとりになれたらもう転落の一途。

そうだ、日曜日に徴候はあった。朝目が覚めたとき、「お棺の中で死んでほしくない人が白い花に顔を囲まれている画像」が見えたんだ。ぎょっとして、こんな不安をいだいているのかと思った。落ち着かないからお棺の中の顔を自分の顔にしたり、ほかの大切な人にしてみたら、気にならなくなったけど、忘れるとパッて出てくるのだった。うっせーな、エゴは、って、いちいち不快。で、【何がどうなってもわたしは悲しい恐ろしい嫌なことになるんだよ】って出かける直前にズーンと重いだめ押し。
頭に来た。
じゃ、きのうのことは?! きのう少しでも嫌なことあった?! ないよね?! ないのにそれは無視か?!
いいかげんにしろっ!
強い声が出た。小気味良かった。

そして木曜の午後の「恐怖」体験。
承知できない!承知できるかこんなこと!自責と怒り──事象そのものは中立なんだ。それには同意する。違うという根拠を並べることはできない。だけど、あの言外の「あんたのせい」が痛くてたまらない。わたしはあの人を害してなんかいない、でもあの人はそう思っている。あの人はずーっとそう思っている──この怒り、出さなければ。抑圧してきたからこうなんだ。空を殴った。気が済まないから叫ぶことを自分に即、許した。「あ」に濁点としか言えないような音を聞いた。なるほど、「あ」に転々をつけた人って凄いね、ほんとにあるんだねって感心した。まだ気が済まなかったから彫刻刀セットのキリでドスッ、ドスッ、ドスッって10回、もう10回、畳を刺した。
畳はなんにも悪くないのに。畳は無抵抗、血も流さない。だからわたしは刺した。

金曜日、一晩寝ても不快不快。もうこいつを殺すしかないのかって、エゴに対する殺意。自殺ではない。カタキ、仇のエゴを、殺す。この不快から一瞬でも早く逃れたい。なんでいつまでもこんなのにかかずらっているんだよっ──目がよかったころはちくちく何か縫ってれば気分がよくなったし、こんなときは洗濯がいいんだが、あいにく連日の雨やら寒いやらで洗濯ものが乾いてないからそれもできない──ところが、件の「死んでほしくない人」の食事をつくる必要に迫られてエプロン着けたら楽しい方にシフトしていた。料理して楽しくなってるよわたし、っておもしろくなった。だってこの度も不快のきっかけは「死んでほしくない人」その人なんだからね。それにしても、あんなに避けたかった炊事に助けられている今日この頃。

この人ってほんとにいつも絶妙にわたしが苦しくなるようにするよね、って思うことが起こるたび、呆れて、そして違うんだな···って思う今日この頃。
違うんだよね、へへへ。ばつが悪いな。【この人のせいで地獄!という思いこみ】とは「さよならしなさいねー」ってハイヤー💛が言ってるんだよね。半月くらい前も【自作自演劇】が展開するのを見せてもらって、あまりのわかり易さに苦笑。こんなこと誰ができる?ってくらいお見事なことをやってのける宇宙に脱帽。本当に自作自演ですわって降参したけど、まんまと何度でも同じ罠に落ちるんだー。
子ども時代を振り返ったとき、母親主演脚本演出のキチガイ三文芝居に引っ張り出されていたと痛感したんだけど、いまや自分がそのまんまコピーしてるよなって認めるしかないことが頻発している。
そうです、犯人はわたしです。わたしだってさよならしたいんだ。「くせ」がとれなくて困っているのだよ。そして助けて~って思ってるけど実は助からないように自分でしているんだよね?ね?ね?

不快を握り締めたまま金曜日の夜中から土曜日になった辺りで、エゴが喚いた。

苦しみこそが現実だ!! しあわせなんかまやかしだ!!

とうとう正体あらわしたな!
おまえが言ってることがまやかしなんだ、ばかめ。

だって、わたし、宇宙から降りそそいでいる愛を疑ってないもの。
『おばあちゃんの家』を見たとき感じた愛を疑っていない。わたしは知っている!

このていたらくで?
いやいや、知っているわたし、疑ってないわたしは存在する。

この茶番劇に終止符を打つ。
おしまい。
お疲れさまでした。
神社で神さまにも報告した。


「変な動きをして感情を吐き出すのが、ピエロはおすすめです」という結びのことばに引っ張られて、別に吐き出すものはなかったけど、変な動きをしてみたらおもしろかった。自分を楽しくするのに「変な動き」はよさそうだ。

畳に怒りをぶつける前に見たかったと思って、あ、一番いいタイミングなんだって思い出した。


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