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グッドバイ 朝井まかて


    ひとり遅れの読書みち  第6号

    黒船の来航騒ぎで世の中が揺れ動く幕末、長崎の油商、大浦屋のお希以(のちに慶)は、異国との交易に乗り出す。もっぱら油を商いにしてきた由緒ある店を、全く畑違いの茶葉の輸出ヘと転換。度胸と熱情、そして信義に基づいた商いによって、「長崎の三女傑」と評価されるまでになっていく。
    『グッドバイ』は、幕末から維新ヘと大きく歴史が動いた時代に、たくましく生きたひとりの女性実業家、大浦慶を描いて、二十一世紀に生きる私たちにも驚きを与えまた共感を呼ぶものになっている。    
    幼い頃から、慶は長崎の海に交易の船が入ると、喜び勇んで丘の上に上り、その船を眺めるのが常だった。祖父は息子(慶の父)には店を任せられないと判断して、孫娘の慶に商いの仕方を教え勘を大事にする重要性を伝えていた。
    慶はふとしたことから異人、最初はオランダ商人と出会い、茶葉の交易に乗り込んでいく。近く帰国するというその異人に茶葉を渡して交易を始めようとするのだ。勘を大事にせよとの祖父の教えに従った。だが、待っても待っても、その異人が戻って来るきざしはない。むなしい日々をすごす。
    とうとう異人はやって来た。だが、三年以上の月日が過ぎていた。しかも、茶葉を渡した当人ではない。国籍もイギリスだった。慶の目の前に現れた異人は、不思議な縁からヨーロッパで茶葉を入手し交易を望んでいることを明かす。
    信義の上に大きな取り引きが始まった。店の番頭はじめ多くの反対や非難を浴びながらも、茶葉の仕入れの開始から商品化までの苦労を重ねて取り引きを成功させる。
    時代は幕末から明治に移る激動の時。イギリス商人ガラバーとの商いも始まった。若き日の大隈重信、坂本龍馬、岩崎弥太郎などとの交流も。龍馬らの始めた亀山社中には資金などの援助をしたという。
    時代は移り、日本は、長崎だけではなく横浜や大阪の港もオープンして、自由な交易を世界各地ヘと広げ始めた。そんななか、慶はある人物から外国との取り引きの保証人になってほしいとの願いを受ける。これが実は詐欺だった。怪しいと思いながらも契約書に署名をした慶は、破産状態に陥ってしまう。しかし「今こそが私の正念場」と、自ら荷車を引きながら、膨大な負債を完済する。信用は一層高まった。
    グラント元米大統領をのせた船が長崎に寄港した際には、国賓のひとりとして艦上に招かれた。女性は慶ひとりだった。
    タイトルの『グッドバイ』という言葉が登場するのは、物語の最終盤だ。家業を後進に譲って引退した身ながら、共同出資して大型蒸気船を買い取り、そのお披露目航海に大海原ヘ出たときだ。
    ともに苦労しながらも先に死んでいった者たちへの思いを込めて叫んだ「グッドバイ」だった。それはまた、争いの続いてきた古い時代に「よかさよなら」を告げて「信義でもって世界と渡り合う」新しい時代の来ることを望みながらの言葉でもあった。

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