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『戒厳』 四方田犬彦

ひとり遅れの読書みち   第13号

    大学を卒業したばかりの若者(瀬能)が1979年ふとしたきっかけで韓国の大学で1年間日本語の教師を務める。日本と異なった慣習や生き方に戸惑う中、朴正熈大統領暗殺、戒厳令発動という局面にぶつかる。
    法律の全面停止、三権の軍移管。軍隊は自由に市民を拘束連行し軍法会議で処罰可能。午後10時から夜間通行禁止、5人以上の集会禁止、大学閉鎖となった。
        大統領と警護室長をKCIA(中央情報部)のトップが射殺するという事件。KCIAは国家の体制維持のため様々な働きをし、民衆からは恐れられていた。そのトップが大統領を暗殺する。事件の起きた10月26日は安重根がハルピンで伊藤博文を射殺した日からちょうど70年。犯人がそれを狙ったのかは定かではないが。

    瀬能は「国家とは何か。軍隊とは、民族とは何か」といった問いを抱えて帰国する。が、日本の友人たちを含めて、世間はこうした問いに全く関心を持つことはなかった。もどかしさを感じる。
    著者の体験をもとにした物語ながら、韓国の姿を知る努力の難しさを示している。

    近くて遠い国の韓国。実際に教師として滞在し学生はじめ様々な人々との出会いの中で、余りにも日本と違っている国との思いを抱く。普段の細かい生活の描写や人々の暮らしぶりは興味深く、臨場感たっぷりだ。
    まず日本と大きく違っていたのは食事作法。5、6人で食堂に行くと韓国人は「両手に1本ずつ箸を握り、金属性の碗のなかのものを素早く混ぜた。スープを呑むときには日本のように碗を手で持つことをせず、スプーンを用いた」「小皿もお菜箸もない。何人もがひとつの碗を順繰りに廻しあい、盛られた米を分かち合う」「食堂での勘定はいつも誰かが払った。たとえ学生どうしの間であっても、割勘という習慣はなかった」
    またバスに乗り込むと「まず最後部まで進み、次に来る者のためにちゃんと空所を準備しておく」。
    日韓の決定的な違いは徴兵制だろう。「熱心に講義を受けていた学生が次の週に忽然と姿を消してしまったり、学期の中途だというのに未知の学生が受講するということがときおり起きた」
    兵役義務で、陸軍の場合3年弱。大学生は20歳で兵役に就くことが一般的とされる。入学して3年目あたりだが、結果的に男子学生が単位をすべて取り終え卒業するのは25歳となる。大学入試に失敗して浪人生活を送っていると、この年齢はさらに遅れることになる。
    また印象的なのは、ベトナム戦争についての見方だ。韓国はベトナムに1956年から8年間で40万人を派兵した。米軍が踏み込まない地区にまで入り、壮絶な戦闘を繰り返した。その記憶は今も深く刻み込まれている。
   さらに 日本には「戦後」があるが、韓国にはない。いまだに「休戦」状態であり、いつ北から襲撃があるかもしれない。緊張が続いている。
    また地方への差別。「日帝36年。慶尚道37年」という「諺」があるという。全羅南道がひどい差別を受けてきた。その恨がこの地出身の金大中が大統領になってようやく解けたという。かつて日本と深い関係を持っていた壬那国のあった地域だ。

    日本に対する態度は多様。「育った家庭環境と教育、時代の雰囲気を反映していた」。
    ある学生の祖父は一貫して日本を「宿敵」と見ている。その学生が大学で日本語を専攻するというと、恐ろしい顔して日本語など学ぶ必要がないと怒鳴りつける。
    瀬能の下宿先の主人は「親せきの甥っ子が日本から遊びに来たようだ」と歓迎する。兵役に行っている息子の部屋があいていたのでそこを借りたのだった。主人は 26歳まで日本統治下にあったが、それまで「当然のように日本人」だと思っていたと語る。
    瀬能は韓国滞在を振り返って「反日家だと明言する人物に会ったことがなかったし、街角を歩いて脅威を感じることもなかった」「誰もが表向きは親切にしてくれた」。ただ「わたしの姿を見て、ただちに日本人だと見抜いていた」「日本人が知らない角度から日本人を見つめていた」と感じている。
    ある学生は言う。「わが国に親日家など一人もいない。韓国にはただ韓国のことだけ考えていて、そのために日本を用いることが大切だという人間がいるだけ」「日本が好きだったからではなく、わが国にとって国益になると考えていたから」

    日本の若者の多くは同年代の韓国にとって「大事だった徴兵制にも、民主主義と民主化闘争にもいささかの興味を示さなかった」「大統領暗殺は、ひどく貧しくて汚くて、日本を大嫌いな国という、韓国をめぐる従来のステレオタイプに、野蛮で暴力に満ち、何が起こるかわからないという新しいイメージを加えただけだった」。
    しかし瀬能にとって1年のソウル滞在は余りにも強烈な印象を与えるものだった。著者は次のように表現する。
「要領のいい知識情報として自分の内面に収納することは、ほとんど不可能に感じられた」「韓国人が民族といい、歴史といい、巨大な観念と格闘しているのを目撃し、なんとか手を伸ばしてそれに触れてみようとした。手はあまりの熱に脅え、逡巡した。観念はわたしが近づこうとすると、わたしを嘲笑うかのようにつねに遠ざかっていく」。
    いったい韓国とは何なのか。改めて大きな問いが残った。

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