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【INFP営業マン】才能が無いと言われた僕が続けられたきっかけ

お前、営業の才能ないわ。

新卒1年目。お客様訪問の後、駅のホームで上司に言われた。

あはは、精進ですね。もう、電車狂みたいです。
そう呟き、苦笑いしながら、電車に乗った。

ピュアな1年目の心を、大槍で串刺しされた気分。
辛かったけど、今も生きている。もう社会人7年目。
 
そんな僕が微かな光を掴んだきっかけをご紹介出来れば。

僕は毎日部長(先ほどの上司ではない)の席まで呼ばれて、叱られていた。

不器用な息子枠で部長には嫌われている感じはしなかったけど、
たまに家にいても、お叱りモードでダメ出しのSMSが届く。

槍が常に心に刺さっている。ご飯も食べれず、お風呂にも入れず、
そのまま寝てしまうことが多くなった。

日記とかで、自身の分析をしてしまい、
自己嫌悪にどんどん陥ってしまった。

僕はINFP-Tらしい。ただ、当時はMBTI知らなかった。

僕は、諦めとタチの悪い男。

高校1年で留年しそうになった時、テストに関わる全教科の先生に
赤点でも目を瞑ってくれと嘆願書を提出した。親が泣くと。
1日目と2日目の教科を勘違いして、死にかけた。結果、ほぼ赤点だった。
ただ奇跡的に数少ない教科が赤点を逸し、耐えた。

最後の足掻きを見せて、終ろう。
心がギリギリだった僕は、紙に殴り書きをした。

これから2年間頑張って、
人並みに成果残せなかったら、
会社を辞める。

書いたのは、2年目の秋。
辞めるという判断は極端であるが、当時はそれぐらい悩んでいた。

ただ、上手くいったらラッキーやし、上手くいかんでも辞められるし、
どっちでもいいや。という感じで、気が楽になった。
自分を追い込むつもりが、逃げ道が出来ていた。

あれ、逃げ道が出来ると何故か心に余裕が出来た。
逆転の発想で、最後に辞める前に何か出来ることはないかな、
とか、あれこれ試してから辞めようとか、不思議と色々な案が出た。

例えば、営業なので専門的な知識は最低限で良いと思っていたのだが、
技術の本を読んでSEさんと同じくらい話せるように挑戦したり。

プライドを捨てて、基本的な仕事術を紹介してくれる本を読んでみたり。

どーせ、辞められるんだ。もっと自分らしく自由に。

お客様との会話も、上司の真似じゃなくて、
もーっと自分らしく、ゆるりと。

けど、真剣にお客様に向かい合った上で、
言いたい事や聞きたい事は必ず伝えよう。

ある時、自身の技術的な知識も高まり、案件に対して自分の考えを持ち、
伝えられるようになっていた。

技術の部分は全て喋ってもらっていたからこそ、
自身の案件に対する考えがなく、自分の言葉がなかった。

気づいたのである。

自分の考えを持たないから、中身が全くなく、
営業の才能がないって言われたのか。

また、凄くゆるいけど、やるべき時はやると評価され、
次第にお客様からの信頼も厚くなってきた。気がする(想像)。

僕は社会人7年目である。会社を辞めることはなかった。

営業として、色々な思い出を社内外の方々と築くことが出来た。
多少は良い結果も残せた。

自分を追い込む気持ちで書いた殴り書きが、
勝手に逃げ道と一種の諦めを生み、
自分らしさ全開で営業活動をするきっかけとなった。

頻繁にINFP-Tは社会不適合者と表現される。
分からなくもない。ただ、ポジティブの側面を信じたい。と思う。

INFP-Tの特性として存在する、人に感謝されたい、
役に立ちたいっていう強い気持ちは、きっと営業として強みだったと思う。

利益関係はあるのだけれども、支援したい気持ちが強ければ、
お客様との時間は売り買いの時間というより、
一緒にプロジェクトを進める仲間との思い出として感じ、
またお客様も呼応してくれる。

理想が高いというと、悪く聞こえるが、
時に力強いリーダーシップとなる。

未だに不器用で未熟な自分、将来すら迷える限界社会人。

ただ、当時は頑張る期限を決めて、逃げ道を作ることで、吹っ切れた。

本当に苦しかったら、絶対に期限なんて決めずに、即刻逃げて欲しい。
ただ、もし心に未練があるのであれば、最後の足掻きもありだ。

勝手に逃げ道を作った人間は、ノープレッシャーに身軽に前に進める。

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