見出し画像

父の旅立ち

88歳。大往生だ。
夜明け前に自室のベッドで、眠ったまま静かに旅立った。

生前彼と、自分の死後についてよく話し合っていた。
誰の迷惑にもなりたくない
介護はされたくない
自室で眠るように死にたい
棺桶には孫達の絵を入れて欲しい
孫達には死んだ時から骨になるまでをしっかり見せて欲しい
それが自分ができる最後の仕事だから
そして兄弟親戚と仲良く暮らして欲しい

彼は全てを叶えた。
遺体に死装束をみんなで笑いながら着けた。
遠方の親戚たちから父の若い頃の話をたくさん聞き、泣き笑いした。

亡くなる1週間前、彼は夢と現実を混濁するようになった。
まだ歩けていたから多分認知の衰えの始まりだったのだろう。
介助をしていた弟と大喧嘩をした。内容は聞かなかった。弟が苦しそうだったから。
結局その日を境に、彼は食事を摂るのをやめ、水分もほとんどとらなくなった。
緩慢な自殺を選んだんだと思う。

死顔はとてつもなく安らかで、なんと微笑んでいた。
満点の最後を自画自賛したのかもしれないし、重くなったからだから解放される瞬間だったのかもしれない。しかし見事な最後だった。


私の曽祖母は寝たきりになった時、皆の負担にならない日をカレンダーに丸付けしその日に息を引き取ったそうだ。
私の母は今介護施設で、やはり緩慢な死を選択している。

きっと私もその必要が出た時そうするだろう。
その時の心境がどういうものなのかはまだわからないけれど、自分の死に際を自分で決めれる、これは最上の贅沢だと思う。

1人の人間として生まれてきて、自分の決断で幕引きができた父を誇りに思うし羨ましく思う。

しかしこんなにも頭ではわかっていても、心の違う場所から悲しみは滲み出てくる。
父は煙になって空に舞い、私の体にもいるんだよって思っても、
なぜか悲しい。

人間はとても複雑だ。

私たち家族にいろんな形で寄り添ってくれた人たち。
あの優しさが人間の持つ一番崇高な感情の一つだと思う。
A Iがまだ理解再現ができないと言った「悲しみに寄り添う感情」
多分、これはとても純粋で緻密なエネルギーだ。

人間に生まれて良かったと思う。
生んでくれた父と母に、心から感謝している。
ありがとう。お疲れ様でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?