「ポジティブな選択」がある幸せ
四つ葉のクローバーを見付けるのは、良いこと
突然、靴ひもが切れるのは、悪いこと
鳥のフンをかけられるのは、一見悪いことのようだけど、実は良いこと
誰が決めたのかわかりませんが、良い悪いで分けると、一般的にはこんな感じだと思います
ちなみに、縁起が良いとされている「だるま」は、自分の父方の一族においては「縁起が悪い」とされていますので、一般的に良いとされているものでも家庭によっては悪いとされていることもあるでしょうか
少し話を変えて、次のようなことが起きたとして、これらは良いことでしょうか、それとも、悪いことでしょうか
・大事にしていたコーヒーカップを割ってしまった
・乗りたい電車に乗れなかった
・買いたいものが売り切れていた
「いやいや、どう考えても悪いことでしょーよ」と以前の自分は思っていました
例えば、大事にしていたコーヒーカップが割れた場合、コーヒーカップが使えなくなる、寂しい、片付けが面倒で危険、新しいものを買うのにお金が掛かる等々、次々と、悪いこととされる理由が頭に浮かんできます
しかし、コーヒーカップが割れることは本当に悪いことでしょうか
コーヒーカップが割れたことをきっかけに、金継ぎ(割れた陶磁器の割れや欠けを漆と金で修復する技術)が身に付く、金継ぎにより味のあるコーヒーカップに変身する、別の素敵なコーヒーカップや素晴らしい雑貨店に遭遇する、コーヒー以外の美味しい飲み物に巡り会う等々、想像を巡らせると、良いこととも言えるんじゃないかと思えてきます
そして、こういうことは実際に起きます
自分の過去の経験を振り返ると、
・突発性難聴になった→ストレスとの付き合い方を学んだ、耳が聞こえることのありがたさを知った
・救急車で運ばれるほど胃腸が不調になった→食べ物について考えるきっかけになった、食べられることの幸せやお腹がすくことのありがたさを知った
・望まない転勤があった→今の職場の働きやすさ、今の居住地の住みやすさを知った
悪いことが起きたと思っていたことを改めて振り返ると、実はそうでもない、むしろ、あの経験があってよかったとさえ思えるので
・・・と、ここまで書いて、以前書いた「「望まないこと」がある幸せ」に内容が近いなと思ってきましたが、ちょっと今回お話ししたかった趣旨と少し違うので、ご容赦ください(笑)
今回、自分が言いたいのは、要するに、目の前に起きたことは、良いことでも悪いことでもなく、ただの事象だということです
起きた事象を良いことと悪いことに振り分けているのは自分で、その事象自体には、良いこととか悪いことというような色は付いていないんです
格言で言うところの「人間万事塞翁が馬」に近いものがありますが、もう一歩踏み出して、起きた現象を全て良いことと捉えるんです
そして、起きた事象を良いこと捉えると、不思議と別の良いことが起きて、いわゆる「引き寄せの法則」状態になります
乗りたい電車に乗れなくても、「この電車は乗るべきじゃなかったんだな、ありがとう」と思うと、もっと早くて安い別のルートが見付かったり
買いたいものが売り切れていても、「今は買うべきじゃなかったんだな、ありがとう」と思うと、しばらくして、より良いものが見付かったりする
言わずもがなですが、悪いことが起きたと思うと、精神的にも肉体的にもダメージを受けますし、別の悪いことを引き寄せます
起きたことはただの現象で、それを良く捉えるも悪く捉えるも自分次第
ネガティブ発想の方、ポジティブ変換を身に付けてはいかがでしょう
そう言えば、突然思い出しましたが、自分が小学生の頃、親と回転寿司に行った時にお店の板前さんに「はまち」の握りをプレゼントしてもらったことがありました
魚が苦手で軍艦納豆と卵焼きしか食べていなかった当時の自分は、嫌なものを目の前に出されたと思ったわけですが、嫌々ながらも食べると「美味しい」
これをきっかけに、あらゆる魚介類、野菜が次々と食べられるようになりました
今思えば、あの板前さん、本当に偉大なことをしてくれたなー、ありがとー
そして、はまちを目の前にして、一瞬でも嫌なことされたと思った当時の自分を叱ってやりたいです(笑)
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