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「ふれあい」はどのような対応に生まれるのか?

2006年1月26日の記事より~

我が子と心からふれあいたい・・・
親として願うところかと思います。
しかし、なぜか、伝わらない・・・。
空回りしている自分に気づくことがあります。

ヤンマーはそういったことを、何度も経験しています。
我が子のことを思って・・・その思いでやった行動で、かえって傷つけてしまったということもありました。

ではどうすれば、お互いが心地よいと思える「ふれあい」が生まれるのでしょう。
その具体的な対応について、お話します。

おもな方法を3つあげています。

①相手の気持ちになること、理解を示すこと
②お互いは味方であるという意識であること
③相手に自分の心を打ち出すこと

今日は、
①相手の気持ちになること、理解を示すこと
についてお話します。

友田不二男先生(日本にロジャース理論を導入した心理学者)が、ある非行少年との面接の後、次のように述べたことがあったそうです。

この人生の中で一人でも自分の気持ちをわかってくれる人がいるという体験が人を癒すのだ

さて、ここでふりかえりたい・・・。
私は、子どもにとっての理解者だろうか・・・。
それとも、警察であったり、検事であったり、罰する人、チェックする人、取り調べる人になってはいないだろうか・・・。

ヤンマーは上記のこと、やっていました。
我が子にも学級の子達にも・・・。
そしてやっかいなのが、自分のやっていることを正義だと思い込んでいる、正論と信じて疑っていないことです。

理解者でありたいと願いなら、相反することをするのはなぜでしょう。

ひとつは「感情体験の不足」だそうです。
愛情の苦労・金銭の苦労・仕事の苦労・人間づきあいの苦労を体験した人は、そういう苦労をしている人の察しがいいというのです。
反対に感情体験の不足の人が、苦労や厳しさを理解するのは難しい、経験してこなかったことなので、察し難いのです。

もうひとつあります。
それは「特定の思い込みに固執している」だそうです。

「子どもは素直に大人の言うことを聞くべきだ!」
という考えに固執していれば、反抗する子に腹が立つ!

固執していなければ、反抗する子に
「何か気に障ることでもあったのかな?」と捉え、
「不機嫌だけどどうしたの?」という言葉かけができます。
そこで、子どもとの感情交流、ふれあいが生まれます。

どれだけ柔軟な捉え方ができるのか・・・
今までの思い込みやある特定の考えに執着せず、手放すくらいの大胆さ、おおらかさが必要なのですね。

自分の価値観にとらわれずに、子どもの心に寄り添う、子どもの心をわかろうとする営みの中から、ふれあいは生まれるようです。

①相手の気持ちになること、理解を示すこと

いかがでしたか?
ヤンマーは自分の思いや考えを押しつけていたな・・・
ごり押し(´;ω;`)ウゥゥ
ダメダメだったな・・・自分をふりかえっています。

次回は
②お互いは味方であるという意識であること
についてお伝えしますね。

※「日本教育カウンセラー協会」のテキストを参考・引用しています。
※本記事は、2006年当時の内容です。現情報と異なる場合があることをご了承ください。



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