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帽子教室の友達と行った初めてのパリ〜フランス語学習のきっかけ〜

Bonjour !   みなさん、こんにちは !お元気ですか。
夏至を過ぎたばかりで日没が夜10時過ぎという、ここブルターニュです。

一昨日からようやく平年並みに気温が下がり「夏は涼しいブルターニュ」が戻ってきました。涼しい夏に慣れてしまったので急な猛暑になると体が対応できないし、うちにはエアコンも扇風機もないため*、昨年のような熱波の猛暑になったら大変!と思っていたので、ちょっと一安心です。(*家庭用エアコンはフランスでは普及していません)

「今日は一日中曇りで最高気温が21度だよ」とパリの娘たちに報告したら「うらやましい〜」と返事が来ました。夏のパリはブルターニュより5度から10度くらい気温が高く、大気汚染もよく発生するそうで、海の近くで育った娘たちにとっては夏のパリは大変。里帰りする日を指折り数えています。

ところで、今月は仏西部でM.5以上の地震が起きたり、パリで爆発事故があったり(ガス爆発の疑い・検証中)、地中海では難民ボート転覆、ウクライナ戦争、ロシアとベラルーシのニュース等々、様々な情報が飛び交い、ついていくのがやっとです。また、昨日、パリ郊外で交通取締りの停止を拒否した17歳の少年が警官に射殺されるという事件があり、夜間、多くの抗議暴動がパリ郊外で発生しました。社会的にいろいろな問題を抱え、舵取りが本当に大変なフランスです。ヨーロッパの情勢も動きが早く、情報をチェックしていないとすぐに置いていかれます。

フランス生活にとって必須のツールであるフランス語ですが、今回は、フランス語を勉強するきっかけについて、思い出しながら綴ってみたいと思っています。


時は昭和。帽子教室のお友達と「勉強のためパリに行ってみよう!」と意気投合し、地球の歩き方・フランス編を参考にしながら自分たちで旅行の企画や手配をして手作りフランス旅行計画を立てたのは1989年のことでした。(企画・手配をしてくださったメンバーに改めて心から御礼申し上げます)

参加メンバー4名中、フランス語ができる人は一人もいませんでしたが、それぞれ単語帳を作ったり、旅の会話集を片手に熱意で乗り切った?旅行でした。私にとっては語学の大切さを実感し、フランス語を勉強するきっかけとなった旅行です。(今は、インターネットやスマホや翻訳アプリのおかげで、その国の言葉が分らなくてもコミュニケーションを取ることができ、本当に便利になりましたよね。テクノロジーの進歩はすごいです!)

パリ行きの便は南回りだったのでトランジットも入れると片道24時間以上かかりました。長旅の疲れと時差ボケを抱えながらシャルル・ド・ゴール空港からパリ市内までRER(高速鉄道)で移動したのですが、パリ市内に入ってすぐ、突然アナウンスが流れ乗客がざわつきました。フランス語が全然わからない私たちは何が起こったのか分からず呆然としていると、同じ車両にいたフランス語のわかる日本人男性の方が「ストのためこの列車は次の駅止まりとなる」ことを教えてくれました。あまり記憶が定かではないのですが、地下鉄の乗り換えまで助けていただいたように思います。本当にありがたかったです。やっぱり言葉が分からないと大変だという体験を初日から味わいました。

高校生の頃、Soen (装苑)という雑誌を購読していたので(母も若い頃、装苑の読者でした)、雑誌に掲載されていたブティックやボタンやさん、可愛いお店をあちこち訪ねては「本当にパリに来たんだなぁ」と感慨もひとしおでした。確か、帽子のアトリエも見学できたと記憶しています。自作の単語帳や旅の会話集のおかげで、フランス語で簡単な質問やお願いをしたり、買い物をしたり、片言の自己紹介を相手の方に理解してもらえたりして、とても嬉しかったのですが、相手の方から質問されたことが理解できなかったり、自分が思っていることを伝えることができず、本当にもどかしい思いをしました。

当時は長期休暇を取ることが難しかったのですが、職場の皆様のご理解で私はこのパリ旅行に参加することができました。移動に時間がかかったので、確か10日間くらいのお休みをいただきました(パリ滞在は7日間くらい?)。私は日程の関係で他の3人よりひと足早く一人で日本に帰国しましたが、帰りの飛行機の中で、「その先にあるものを掴むために(コミュニケーションをするために)フランス語を勉強するぞ!」と心に誓いました。

初めてのフランス旅行から何年か経ち、私はフランスでFLE(外国人のためのフランス語)を学ぶ機会に恵まれました。私は初級のクラスでしたが、いろいろな国の学生さんたちと机を並べて勉強しました。

同じクラスの学生さんの例ですが、語源が同じのラテン系の学生さんは上達が早かったです。英語圏(アメリカ)の学生さんも上達が早かったのですが、アクセントに少々苦労していました。ロシア語圏の学生さんはいろいろな音を発音できるためフランス語の音が聞き取れ、発音が上手。アラブ系の学生さんも上達が早かったです。アジア系の学生は、読み書きもがんばって習得し、真面目で熱心。しかし、私も含め、内気でなかなか話せないといった感じでした。個人の性格や語学経験によって異なるので国による一般化は出来ませんが、間違えても臆せず話し、どんどんコミュニケーションを取り、日常生活もフランス語習得の機会になっていた学生さんは会話の上達がものすごく早かったです。

最初は簡単なこともできなくて落ち込むことも多く、ミスをするのが怖くてなかなか話せなかったり(頭の中で完璧な文を作ろうとして、それから話すのでタイムラグが生じる)、フランス語で一生懸命話したら、「英語で話しますか?」と親切に返答され、英語のレベルもイマイチだった私は、言葉ができないとこんなに苦労するのかと本当に落ち込みました。「思っていても伝えなかったらゼロ。下手でも、たとえレベル1でも話さなければ伝わらないよ」と尊敬する先輩から励まされ、「どん底まで落ちたら上がるしかない!」「恥ずかしい気持ちは一旦かなぐり捨てよう」と決め、こつこつ経験値を上げていきました。

私は成人してからフランス語を学び始めスタートが遅かったのですが「できる範囲で生涯学習」と自主的に学び続けるようにしています。

自分がフランス語学習者だった頃に苦労した経験、成人になってから学び始めたこと、今もマイペースで勉強していること等が、日本語教師になった、今、大変役に立っています。フランスの学習者は、文化が異なる上に、新しい文字(ひらがな・カタカナ)と発音、その上、漢字とその意味、音読み・訓読みまで覚えなければいけないのですから大変です!文法は真逆なことが多く、翻訳作業は頭の運動になっています。何かとハードルが高い日本語ですが、学習者の皆さんのモチベーションは高いです。常に学習者さんの立場に立って、楽しくやる気を高める日本語学習サポートを心がけています。

フランス語の話から始まって、最後は日本語の話になってしまいましたね。
拙い文章ですが、あれこれ思い出しながら、今、起こっていることも考えながら、また綴っていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた!  A bientôt ! 


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