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139. どんな仕事にも意味がある。意味を見出し、役に立っている実感をもてたら幸せでいられる。

育児と家事はどんなに一生懸命やっても、
「ありがとう」と言われることが少ないし、
金銭的な報酬がもらえない。

その点は残念だけど、でも「幸せ」。

そこは強がりでもなんでもなく、心からそう思う。

それがなぜなのか。
「幸せは自分の心が決める」ものだから、
自分が幸せと思うならそれでいいのだけど。

ずっともやもやしていた。

その答えがようやく見えてきたので、ここに整理しておきたい。
育休中の思いの記録として、残しておきたい。

育児と家事だって尊い仕事だよ。

育児と家事だって尊い仕事だよ。
「やってあたり前」じゃないよ。
本当によくがんばっていると思う。

先日、キャリアカウンセラーの方がそう言ってくださった。

そんなことを大きな声で言ってくれる人はいないから、
私は単純に嬉しかった。

同時に、以下2つの自分の気持ちに気がついた。

・育休中で育児と家事しかしていないことに対して
 心のどこかで少し引け目を感じていたこと。

・一方で、「育児と家事だって尊い仕事」なのだから
 引け目を感じなくていいんじゃないか、という気持ち。

自分の仕事には深い意味があると気づくことで、幸福度が高まる

幸福学の本を読んだとき、コーリングという考え方に出会った。

コーリングとは、仕事の捉え方の一つで、
自分の仕事には深い意味があると気づくこと。
コーリングの状態で働くとき、最も幸福度が高い、と考えられるという。

「幸せ」について知っておきたい5つのこと NHK「幸福学」白熱教室 (中経出版)より

たとえば、ある病院の清掃員さんは、
「患者さんたちの環境を整え、健康になる手助けをしているのだ」と考えて
コーリングの状態で働くことができているという。
そのため、その清掃員さんの幸福度は高いということだった。

コーリングという仕事の捉え方を知ったとき、
「これだ!」と思った。

育児と家事をすることで、
「子どもたちや夫が安心して幸せに暮らしていくことができる」という
意味を見出しているから
、私は幸せなのだ、と気が付いたのだ。


また、「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本を読んで、
もう一つ気づきがあった。

幸福とは、貢献感である

自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができる。

岸見一郎・古賀史健「嫌われる勇気」179ページ

「幸福とは、貢献感である」

岸見一郎・古賀史健「嫌われる勇気」220ページ



「嫌われる勇気」という本を読んで、

幸福になるためには、行為のレベルであれ、あるいは存在のレベルであれ、自分は「誰かの役に立っていると感じる」こと(「貢献感」)が必要。

このことを知ったとき、腑に落ちた。

家事と育児という仕事をすることが
子どもたちや夫の「役に立っている」という実感、
「貢献感」があるから
幸せなのだ、

ということに気がついた。

最後に

育児と家事という仕事に「深い意味」を見出していること、
子どもたちや夫の「役に立っている」という実感があること、
だから、私は今、幸せなのだ
と気がついた。

どんな仕事にも、意味はある。
どんな仕事だって、尊い。
だって、どんな仕事だって誰かの役に必ず立っているから。

自分のしている仕事にどんな意味があるのか。

その「意味」を見出し、
誰かの「役に立っている」という実感をもつことができれば、
私たちはいつだって幸せを感じられると思う。

意味を見出すのは自分自身。
自分自身で、そのときどきの自分の仕事の意味を見出し、
幸せに生きていきたい。


本日は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。