甘美な夢と痛み

時折現れては暴れる、私の被虐欲。
自分は許されるはずがない、という自罰的な考えに飽きると、どうしても他罰を求めたくなる。
こればかりは、優しい人では埋められない。
私の友人も、この欲だけは満たせない。


苦しみ、不安、ネガティブな感情…
そんなものをひとりで抱えているのは、どうしても苦しい。ただ、私はそれを素直に苦しいと、人に打ち明けられるような人間でもない。

だから、つい、自分すべてを、罪さえも告白してしまいたくなる。私は罪深い人間です、と。罪人に生きる許しを与えてほしいのではなく。私の罪を、私の思う自らの罪の重さを、そのままに受け止めて、そして私にそれを背負わせてほしい。認めろ、そして償え、そうして楽になるがいい、と言ってほしいのです。


苦しいんだよな、楽になりたいだろう。
だったら、話してしまえ、認めてしまえよ。
すべて聞いてやる…

…そんな台詞を、心のどこかで求めている。


私の心を、苦痛を見透かして。優しく諭すような言い方はしない。情に訴えるような言葉も使わない。
〜してほしい、なんて頼むような言い方はしない。ただ、話を聞いてやる、とだけ言う。
そこに、断ることは許さない、すべてを素直に打ち明けろ、と無言の圧を込めて。

そう言われた私は、もう逃げられないのだ、と覚悟を決める。決めるしかない。話すしかない。たとえ私が嫌だ、と言っても、この人は言葉も態度も変わらないのだから。
…打ち明けよう。晒してしまおう。悪行も善行も。自覚すらしていないような感情も、認められない欲望も。汚らわしい、恥ずべき、と思っているものも。美しくないから、と見ないフリをしたものも。
…だって、逃げられないから。この人が、私にそうしろと言うから。言いたくない、言えない、なんて言ったら、怒られてしまう。突き放されてしまう。それが怖いから。

彼は、優しく認めたり、受け入れたりはしてくれない。終始どこか冷たく、突き放すような態度。そのくせ私の言葉を、一言一句、すべて聞いてくれる。
鬱陶しいとも、くどいとも言わず。途中で口を挟むこともなく。聞いているのかどうか分からないくらい、静かに。

私が言葉に詰まると、彼は私の言葉をそのまま使って確かめる。何が嬉しかったのか。どれが欲しかったのか。誰が憎かったのか…
自分の汚さを見せつけられて何も言えない私に、それがお前なのだ、と言い放つ。
少しでも美しく見えるようにと、自分を隠して生きてきた私に、本当の姿を突きつける。
痛いところを突くように、言葉を叩きつける。的確に、何度も。これもある種の言葉の暴力だろう。
その裏にあるのは、単純な加虐欲。それに、所有欲が少し。それが、私に真実を見せつける。人間の醜さを。互いに、醜い人間であるということを。


…私の被虐欲に、性のニュアンスは含まれない。あくまで、精神的な繋がりと、言葉の世界。そこから得るものも、痛みだけとは限らない。けれど、そんな世界にこそ、甘美で、抗えない魅力がある。

こうして一歩下がって冷静になると、根底にあるのは、甘えたいとか、認めてほしいとか、意外と健全な欲求かもしれない。
…私はただ、それを認めるために、背を押してほしいだけなのかもしれない。
だからといって、私の欲に他人を巻き込むわけにはいきませんからね。こうして想像するだけ、です。





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