少年漫画のキミへ

漫画の登場人物に、それも年下の、頼りない少年に、彼の言葉、笑顔に、救われてしまったと思う。
少年漫画ごときに、と自分の単純さに苦笑いをしながら、何気ない単純な言葉にも救われてしまうのが人間かもしれない、とも思う。

作中、敵は、戦場ならば覚悟を決めろ、俺を討て、と少年に迫る。けれど彼は、敵対する相手であっても傷つけたくないと言う。お互い正義のためだから戦うのはやむを得ないとしても、命まで奪ってしまいたくない、と。
バトルものにはありがちな会話。
そんなやりとりを見て、定番モノだと思うより先に、彼は本当に優しい子なのだと、柄にもなく感動してしまった。
そして、その優しさに、私までも赦されたような気になってしまった。


敵対する相手の考えや行為を非難することはあっても、存在は否定しない。たとえ敵であっても、死んでほしくない。

それを、神仏などではない、人間の少年が言う。

神などならば、分かる。人間を愛し、罪を犯した過去を赦し。これから変わることができると信じる。人類の未来を信じる。
罪人を赦し、愛し、信じる。信頼を寄せる。
それはきっと、神ゆえ、仏ゆえの優しさ、愛。

しかし、その少年は人として、相手に優しさを向けて、そう言う。
敵対するから、という理由で相手を否定しない。悪人を成敗することはあっても、それは相手の行いに対する行いであり、存在そのものを否定するわけではない。
優しい彼は、そう言った。

…それはつまり、何も為さずに生きてきてしまった私も、存在していて良い、生きていて良い、ということなのではないか。
少なくともこの少年は、ここまでただ生き延びてしまった私を責めたりはしない。彼はきっと、私のことも赦してくれるだろう。
過去の行いはそれ以上のものではない。失敗も後悔も、忘れられない嫌な思い出も、償うべき罪ではなかったのかもしれない。
…そう思ってしまった。

彼の優しい言葉が、その笑顔があるのならば、私のどうしようもない過去もすべて赦される…というより、受け入れられる、気がする。

人が人を、自分自身が自分を受容するとは、こういうことなのかもしれない。


年下の少年の言葉に、彼の笑顔に、私の存在を守られたような気がした。
生きていること、存在していることへの赦しを彼からもらったような気がした。

思いやりを、優しさを、愛を、示すべきなのは、年長者の私なのに。
そもそも彼は、少年漫画の登場人物だというのに。
そんな彼に、私は希望を与えてもらってしまった。


…キミのくれた優しさに感謝してる。
ありがとう。私も、もう少し頑張ってみる。
キミの人生に、幸あれ





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