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断言できない曖昧な”自分”


過去に投稿した「自己紹介下手問題」で、自分の自己紹介として以下のような文章を書いた。

私は機能不全家族の元で育った、おそらく回避性パーソナリティ障害で愛着障害でアダルトチルドレンの人間だ。また、ノンバイナリー気質でアセクシャルだかデミセクシャルだかの人。
そして、うつ病疑惑の適応障害で通院中。

自分で読み返した時、正直「おそらく、とか気質だとか疑惑とか、逃げの文多すぎでしょ」と思った。
(ちなみにうつ病疑惑からうつ病にジョブチェンジした)

しかし、別に逃げているわけでない。自分の感覚を正しく書き出すと、こういう言い回しになってしまったのだ。
なので「なんてふわふわしてるんだ」と思いつつも、このまま投稿することにした。

どうも、自分の状態や性質を断言するのに、私は抵抗があるようだ。


◇断言できない

そもそも、この世に断言できることなど実は少ない、と考えている。
物事のボーダーは曖昧で、微妙なグラデーションで繋がっている。断言してしまうと、固定化して、その曖昧さをないものとしているようで、抵抗があるのだ。

この自己紹介文に限らず、私の書く文章は断定的な物言いが少なく、「私は〇〇と思っている」という表現が多い。
断言できるのは自分の意思や、自分はどう考えるかという事実ぐらいで、何かを断言できるほど、私はそれらに精通しているわけではないからだ。


世の中を見ていると、自分の主観と世間的常識を混濁した物言いをよく見る。炎上案件などでは特に。

「自分が思っていること」と「事実や世間の平均値」は違っていることも多いので、自分が文章を書く上ではそれらを切り分けるように意識している。

炎上対策でもあるが、実際に私の気持ちは私の主観に過ぎないし、ここでは主観の話がしたいからだ。
自分の気持ちを正確に切り取れるように、文章表現には気をつけている。


◇断言できなくても良い、曖昧な表現を好む

言葉の断定性・切り離しに悩む人で言うと、私はまきむぅ(牧村朝子)を思い出す。

タレント兼文筆家で、かつてcakesで連載していた「ハッピーエンドに殺されない」を読んでいた。


彼女を知ったのは彼女の友人、小池みき著のエッセイコミック「同居人の美少女がレズビアンだった件。」であるのだが、その本の中で、2人が「言葉の暴力性」について話すシーンがある。


この話で語った価値観のように、彼女の書く文章は物事の断言できない曖昧さに、真摯に向き合っているのがよくわかる文章だった。

cakesの連載は所謂お悩み相談形式で、読者からの投書に返信していくものだった。しかし、読者の悩みにパッキリ、キャッチーに回答する回は少ない。
彼女が見聞きした様々な本や歴史を持ち出しながら、読者が直面している曖昧な現実や自分の気持ちについて、一緒に考える引き出しや視点を増やすような、そういう連載だった。

ややもすれば、お悩みから話が脱線していると言えよう。しかし、私はその連載が好きだった。
”答え”を返すのではなく、思考を返す文章が好きだった。


ものを断言して、キャッチーな言い方をする方が大衆を惹きつけるのだろう。世に溢れかえる広告の文言のように。

エンタメとして、それらが面白いのはよく分かる。そういうものを楽しむ自分ももちろん居る。


でも、それを嫌がる、恐れる感性を私は尊いと思う。
世にあるものは曖昧で、白黒つけられないことだらけであることを受け入れて、その上で言葉を尽くして語ろうとすることを、私は尊い行為だと思う。


まきむぅの連載のいつかの回で、

「今は言葉を発信するのがとても簡単になった。だから自分の気持ちを言い表したような誰かの言葉にすぐ出会える。でも、誰かの言葉を読んで満足しないで、自分のことを吐き出した言葉を書いてみてほしい。類似品じゃなくて、自分ことを書き表してほしい」

という話があった。

ああ、その通りだなぁ、と思った。
記憶に残っている。


曖昧なことを文章にするのは面倒くさい。本当にこれであってるか?それともこっちか?と考えるし。
でも、誰かの言葉では、自分だけが抱えるその曖昧さは見つけられないから、自分で言葉を捻り出すことには意味があると、そういう事なのだと思っている。

実際こうやってnoteを書くまでに2年ぐらい経過しているけれど、「自分もやっぱり創作がしたい」という気持ちを育てるけっかけの一つになった言葉だと思っている。




閑話休題

冒頭で自己紹介の話をしたが、あの文章を書いた元記事では、「こんな風に肩書きを縦並べたとて、自分を立体的に語れるとは思わない。」とも書いている。

パーソナリティを表すキーワードは、一つの断言なのだ。
しかし、それらの言葉で簡潔に説明できない自己があるからこそ、私は自己紹介に悩むし、キーワードを並べるだけでは自己の説明にならないと思っている。


ま、こういうのは考えすぎってやつだが。
でもいい、私は考えすぎた主観の話がしたくてこれを書いているのだ。

曖昧でも言葉を紡いでいくことで、見えてくる輪郭があるんじゃないかと、そう思っている。

あれ、それ、これ、どれ。選べない







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