悩めるモアイ

イースター島を訪れた時に、たくさんのモアイとの出会いがありました。 一人だけポツンと立…

悩めるモアイ

イースター島を訪れた時に、たくさんのモアイとの出会いがありました。 一人だけポツンと立っていたモアイを見て、思わずシャッターを押しました。 私にとっては凜々しさの中に、何かを悩んで訴えようとしているように見えました。それで「悩めるモアイ」だと勝手に思っています。

最近の記事

自己紹介(Part5)

サン・ジョアン(São João)6月祭  サン・ジョアン(São João)6月祭は、もともとはヨーロッパ各地で行われていた豊穣を祈願する祭りを、16〜17世紀にポルトガルからブラジルへ持ち込まれ、当初は北東部で特に盛んにお祝いされるようになりました。火の聖人である、聖ジョアンの記憶と祈りを蘇らせ、宗教心に火をつけるという意味もあり、この国にとって非常に重要な祭典である。 6月祭はフェスタジュニーナ(Festa Junina)と呼ばれ、名前の通り6月を示す名称となっています

    • 自己紹介(Part4)

       Santo Andréから同じSão Pauloにある Vila Ema に引っ越しました。  家族で農業を頑張って、いい稼ぎができたからか、レンガをベースにした建物に引っ越すことができました。家は中古物件ではありましたが、建物が3つあり、道路に面している建物は日系人の家族に貸し、奥に進むと私たちが居住し、一番奥の建物は職場として使っていました。そこでは縫製業として生計を立てることとなりました。仲介業者が服となる、型通りに切られた生地を持ってきて、それらをミシンで規格通りに

      • 自己紹介(Part3)

        Feiraで販売  農業で生計を立てていた我が家は、畑が結構広く、管理が大変だったと思う。野菜作りに励み、収穫した野菜はFeira(青空市場)で売っていた。  Feiraは普通の道路で行われる青空市場で、毎週決まった曜日に同じ場所でいろいろな物を販売します。Feiraは毎日どこかで行われているので、店舗スペースを所有していた我が家はほぼ毎日どこかの通りで販売していました。  Feiraでは野菜だけでなく、何でも売られていました。 どんなことでも思い出は思い出 野菜を栽培

        • 自己紹介(Part2)

           信じがたい事かもしれませんが、偽りなくすべて私が実際に体験したことを書いております。 新天地だと思っていた...  Ipirangaから同じSão PauloにあるSanto Andréという所にへ引っ越しました。以前と同様に家族は農業で生計を立てる。  生活は相変わらず貧しく、家は木造、土間で当初は電気のない暮らしでした。 焼死寸前  当時、まだ幼い私は姉と一緒のベッドで寝ていました。  ある日、姉がロウソクを消し忘れて寝入ってしまい、火事が発生した。幸い気づくの

        自己紹介(Part5)

          自己紹介(Part1)

           私は63歳のおじいさんです。 こんな私でもnoteデビューしてやっていけるのかな? とても不安で迷っていましたが、とりあえず自己紹介をさせて下さい。 ちょっと変わった人生を歩んでいるかもしれない。  両親と姉が1956年に日本からブラジルへ移民し、私は1960年にSão Paulo(サンパウロ)のIpiranga(イピランガ)というところで生まれ、5歳までそこで暮らしました。  第二次世界大戦後の移民ブームで、多くの方々が夢を抱いてブラジルへ渡ったそうです。ところが、そこ

          自己紹介(Part1)

          Poem1 苦難の道

          苦難の道 険しい谷 でも諦めずに前進する 励ましの声 心に響く 頑張ることで 光は射す

          Poem1 苦難の道

          初めまして!

          初めまして! 「悩めるモアイ」と申します。 私(悩めるモアイ)はいろいろな事に挑戦し、うまくいかない時は心が折れそうになったこともしばしば...。このようなツライ経験は誰にでもある事だと思います。 そこで、私自身にも言い聞かせながら、同じ境遇を持った方々の励みになればと思い、ポエムを書いていこうと思います。あまり得意ではないので、普通の言葉でかつ超短いものから始めます。 これから書いていくポエムで、成功への道が少しでも近づくことを目指していきます。 悩めるモアイみたいに悩

          初めまして!