「光る君へ」のための平安準備情報③

大変楽しんで書いております。
読んでくださりありがとうございます!

さて、今までの段階で大前提平安時代の枠組み編

と、
大前提平安時代の結婚編

を書いてみました。
今日は、平安時代の結婚編②天皇の場合?を書いてみたいと思います。
これで平安時代の基本はかなりおさえられ、かつ、TLに流れる我らが公任トンチキエピの背景が理解でき、公任やそのほかの人物達をますます好きになろう、がもくろみです。

天皇の妻には4つの位がありました。

皇后(現在に続く天皇の妻最高位。名誉職扱い)
中宮(実質の天皇の妻最高位。天皇の妻たちのゴール)
・・・・・・深くて暗い溝・・・・・
女御(父は大臣クラス)
・・・・・・わりと深くて暗い溝・・・・
更衣(父は大納言以下)

です。現在我々も使う「皇后陛下」の皇后は平安時代にはすでに存在していた敬称と思うと、なかなか身近になってくるように思います。現在は天皇であっても妻はひとりなので自動的に天皇の妻は皇后となります。
平安時代は皇后は名誉職なので、いなくてOK、いないのが普通でした(ただし皇后を存在させる大事件も起こっています。このことは間違いなく「光る君へ」のメインエピソードのひとつとなりますので、まった追って…)
中宮以上は天皇の正妻として正式に皇室のメンバーとなります。
そして中宮に選ばれるのは1人だけです(一夫一妻だから)。
逆を言えば女御以下は臣下の扱いのまま…深くて暗い溝があったわけです。

基本大臣クラスのお嬢さんは、まず「女御(にょうご)」として天皇と結婚(入内、じゅだい、といいます)します。
大納言以下のお嬢さんは、基本「更衣(こうい)」として天皇と結婚します。父の位はあくまで目安ではあるのですが、公任がついた大納言という役職が、天皇と娘を結婚させることができるけれど、その身分は一番下、というところに大納言の位置づけもまた見えてくるかと思います。
更衣は妻というよりはどちらかというと「更衣=天皇の着替えにかかわるお仕事」という名前が示すように女官に近い立場だったようです。
基本更衣のこどもは天皇にはなれないというルールもありました。
(光源氏は桐壺更衣の息子なので、生まれたときから天皇になれない宿命を背負っています)
「光る君へ」の時代、1000年頃にはすでに更衣という形で天皇と結婚する人はほぼいませんでした。

大臣クラスのお嬢さんは女御として天皇と結婚しますが、これは「帝が好き♡」とかそんなものではもちろんなく、実家が政治的権力を持てるかどうかを一心にその身に背負っての結婚となります。
当時は摂関政治という形で、天皇の祖父かおじ(天皇の母の父か兄弟)が天皇をサポートして実権を握る、というスタイルだったからです。
結婚するだけではだめで男子を産まなくてはいけない、男子を産むだけではだめで、その男子が皇太子に選ばれなくてはいけない、というものすごい使命を担っての結婚でした。
そのため、天皇側も、「この人が好き♡」といってその人のところばかりに入り浸るのは大NGでした(それをやっちゃったのが『源氏物語』の桐壺帝)。ダイレクトに言えば父の身分が同レベルの女御たちには等しく妊娠の機会を与えなくてはならなかったわけです。

藤原道長を筆頭とする藤原北家九条流が道長の時代に力を持てたのは、ひとえに一族の女性が天皇と結婚して見事男子を産むという偶然が続くことに恵まれ、政治的闘争に勝って一族の男子を皇太子にするよう帝に仕向けることに成功したから、ということになります。

では藤原公任はどういう位置づけだったかというと、公任の姉遵子(じゅんしと読んでおきます)は、円融天皇という人の中宮となります。
一族から中宮が出るというのは、ここに男子が生まれれば東宮、一族が権勢を握ることが約束される第一歩となります。その姉が立后(りつごうともりっこうとも。中宮になることです)する日、中宮争いに負けた妻のところで、世紀の大失言をします。

「この女御は、いつか后にはたちたまふらむ」
(新編日本古典文学全集『大鏡』P114)
この女御はいつ后におなりになるんでしょうねぇ

ならないよ、なる日なんてこないよ、だって天皇の后(中宮)はひとりなんだから。それをわかっていて言った痛烈ないじわる失言です。
まぁ、あほっちゃあほ、トンチキっちゃトンチキです。
言ってきた相手は北家九条流兼家(段田さん)の娘であり道長の姉詮子(吉田羊さん)です…そのとき権勢を誇ってる家に痛烈な失言をしてきちゃったわけですから…
でも公任としては、いよいよついに自分たちの一族に権力を取り戻すことができる、という積年の思いのようなものがあったということは見ておいてあげたいところです。

しかし公任の姉遵子は子を産むことがありませんでした。
後に詮子の子、一条天皇が即位した際には詮子の女房から

「御妹の素腹の后は、いづくにかおはする」(P115)
子供を産まなかったあなたのお姉さん(当時は「妹」で姉妹どちらも含む表現になります)はどこにいるのかしら

と痛烈な嫌みを言い返されることになります。

平安人よ、、デリカシーって言葉知ってる?
という内容なのですが、ことほどさように、一族の女性が男子を産んで皇太子、天皇になるか、は一族の運命を左右することであった、それが平安時代の政治であった、というお話でした。
(かなり昔になりますが、野村萬斎さんが安倍晴明だった「陰陽師」をご覧になった方もいると思います。夏川結衣さん演じる祐姫が鬼となっていたと思いますが、祐姫は帝の長男を産みながら、その子を皇太子にしてもらえなかったことにより恨み死にした、と当時の人から捉えられていました。祐姫も祐姫の父も怨霊となって皇太子にとりついた、と当時の人々は考えていました。人を死に追いやり、怨霊化させるほどの深刻な問題が帝位争いにはあり、公任の一族はそれに負けたということになります)






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