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短編「北H・ロシマ帰りの男」

こんにちは。今日はわざわざ僕の講演にお越しいただきましてありがございます。結構人が多くて少し緊張してます。もし噛んでしまったらそん時はごめんなさい。

今日は「北H・ロシマが僕を変えた」というテーマでお話をしていきたいのですが、誰だこいつはって人がほとんどですよね?まずは自己紹介させて下さい。

僕、玉原イツキって言います。結構上に見られるんですけども歳は28です。おそらく皆さんとそこまで歳は離れてないと思います。趣味は野球観戦ですね。部活ではやってなかったんですよ。あんま運動神経良くなかったんですよね。

あ、これは高校の時の写真ですね。僕ヨサコイやってたんですよ。中学の時にハマりましてね、自分でもやってみたいなぁって思ってね、地元のチームに入ったんですよ。ちなみにこの中にもヨサコイやったことあるよ〜って人とかいたりしますか?
あ、じゃあそこの女の子。マイク使っていいよ。

どこのチーム?あ、めっちゃ強豪じゃないですか〜。うん、あ〜、え?あのフロントで踊ってた子?本当?凄いですね〜

あ、すいません。ちょっと盛り上がっちゃってね。

はいありがとうございました〜。

みたいな感じでね、今日はゆる〜くやっていきますのでね、お茶とか飲みながらでいいので。

僕ね、皆さんと同じく札幌出身なんですよ。小中高と札幌の学校に通ってましてね、まぁ一生このまま札幌にいるんだろうなぁって思ってたんですよ。皆さんの中にもね、そういうふうに思ってる人多いと思うんですよ。
でもね、今日せっかくこんな風にね、講演の機会をいただきましたからね、ぜひここにいる皆さんにはね、ちょっと人生について考えて欲しいなぁって思うんですよね。

じゃあまずは僕の略歴ですね。
こちら。はい、1996年札幌市南区で産まれる。今はもうなくなりましたけどもね、澄川に大きな産婦人科がありまして、今は確かイオンとかになってますね。これ幼稚園の時の写真ですね。大玉転がしやってますね。そして中、高と近くの学校に通ってました。はい。これは中学の学校祭ですね。僕のいた学校では丸々3日くらいやってましたね。

と、ここまで特に目立ったこともなく、まぁ普通に生きてたんですけど、高校3年の時にですね、ちょっと人生の転機が訪れました。高校3年っていったらね、大学受験が控えててね、周りの人はみんな受験勉強でいっぱいいっぱいでした。そんな中で僕は勉強よりも今後の人生について考えてました。

じゃあなんでそんなふうに考えたのか、きっかけは2つあります。

一つ目はね、高校2年の時の修学旅行なんですよ。修学旅行皆さんはもう行きましたかね?学生生活でいちばんの思い出になる人も多いですよね。僕もそうでした。初めて見る場所、知らない景色、食べたことのない料理、全てが新鮮でした。

二つ目はですね、ある本がきっかけなんですよ。みなさんこんな本知ってますか?

はい、タイトル見えますかね?「ガリバー旅行記」ですね。ジョナサン・スウィフトという人が書いた本なんですけどね、ガリバーっていう主人公、まぁ冒険家がですね、船に乗って旅をして、いろんな不思議な体験をするっていうものなんですけども。これがですね、僕がいちばん好きな本でして、いつか自分もガリバーみたいに壮大な旅をしたいなぁって思うきっかけになったんですね。

これらがきっかけで僕はこんな決断をしました。
「札幌から外の世界に行きたい」ってね。

今日はこれがいちばんのテーマとなってます。公演の名前にもなってます。でもね、こう思った人も多いと思うんですよ。「お金はどうするの?」これ思った人多いですよね?僕もそう思ってました。

やっぱりね、地元を抜け出て外の世界を見たいって言ってもね、なかなかうまく行かないですよ。お金はかかるし、スケジュールはどうするの?とかね。当時の僕もすごく悩みました。やっぱりこのまま地元で一生過ごすのかなぁってね。でもね、やっぱり諦められなかったんですよ。

そんなこんなで高校を卒業して地元の大学に通いました。これ大学の入学式の写真ですね。まぁ晴れた顔はしてませんよ。そりゃそうです。だって希望とは違うんだもんね。でもね、この大学生活がね、今後の僕の人生を変えたんですよ。

3年生になってゼミが始まりました。僕は経済学部で堺先生という人がいましてね、すごくお世話になった人で今でもたまに飲みに誘われたりするんですけども。3年の春ですね。この堺先生に呼ばれまして、こんなこと言われたんですよ。

「交換留学をしてみないか」

って言われたんですよ。これ大学のプログラムでですね、毎年決まった枠がありまして、姉妹校と交換留学をするっていう制度があったんですよね。これ凄いですよね?しかもその費用はほとんどが大学が負担をしてくれるんです。僕はね、この話を聞いた時に「これは絶対逃しちゃいけないチャンスだ!」って思ったんですよね。

そして一生懸命勉強しました。もちろん希望者が全員行かせてもらえるわけではないですからね。大学が認めた生徒でなければ交換留学はできませんでした。そしてとうとう交換留学の枠を手に入れることができたんですよ。

これが留学の日の写真ですね。めっちゃワクワクしててね、前日は寝れませんでした。荷物もすごい大きいですね。

じゃあ僕はどこに行ったのか?それがこちらですね。

「北H・ロシマ」ですね。みなさん北H・ロシマはご存知ですよね?札幌市からおよそ25.3kmですね。こちらカントリーサインですね。クラークさんが描かれてますけども。この北H・ロシマに交換留学をしました。期間は1年間でした。結構長いですよね?僕大学までずっと親と暮らしてましたからね、留学前日はちょっと涙が出てしまいましたね。

夢が叶って嬉しい反面、不安も大きかったんですよね。じゃあどんな不安があったのか。ここらでちょっと皆さんに考えてもらいたい。留学で一番のハードルってなんですかね?ちょっと周りの人と話してみて下さい。

はい、じゃあここらでアンサーを出します。まずはこれですよね。

「言葉は通じるのか?」

留学する時にいちばん考えることですよね。北H・ロシマ語はいっぱい勉強したけど本当に自分の言葉通じるの?人間は言葉の生き物ですからね。これが無ければ何もできないですからね。買い物もできないし。

でもね、これがね、大丈夫だったんですよ。やっぱり札幌と陸続きというのもあってね、多少言語的に近いところがあるんですよね。まぁ今だから言ってるだけなんでけどね。やっぱり事前の準備、特にリスニングの訓練無しでは厳しかったかもしれないですね。

次に二つ目

「北H・ロシマの人は僕を受け入れてくれるのだろうか?」ですよね。

僕の1年間の留学はホームステイも兼ねてるんですけども、お世話になる家族やあとは姉妹校の生徒たちは僕を温かく迎えてくれるのだろうか?これは本当に怖かったんですよ。もし冷たくされたらね、その後生活のしようがないですからね。帰るわけにもいかないし。

でもね、これも杞憂でした。北H・ロシマの人たちはね、これ全員に当てはまるわけじゃないですよ。もちろん違う人もいますけども、すごく自信家が多いんですよ。急速に街が発展していますし、あとご存知の人いるかもしれませんが、ファイターズっていうチームの大きな野球スタジアムがあるんですよ。アウトレットパークもあるし、あとコストコも近いですからね。自分の街に自信を持っている人が多くてですね、まぁそのせいでちょっと気が強い人もいるんですけども、すごくいい人たちです。兄貴分的な人が多いんですよね。

北H・ロシマでの一年はとても充実したものでした。これ一緒に野球を観に行った時の写真ですね。この時はファイターズがホームなのに負けましてね、一緒に行った友達は若干機嫌が悪かったですけれども。

あと今の妻と出会ったのも北H・ロシマででしたね。同じクラスでね、最初は全然話せなかったんですけども、北H・ロシマ語で勇気を出して話しかけたところ彼女も野球が好きでね、それがきっかけで仲良くなりました。

ちなみに結婚旅行は北H・ロシマよりもさらに遠いエベツキスタンに行きました。「え?マジで?!」って思った人もいるでしょ?だって「北H・ロシマですらハードル高いのにさらに遠いエベツキスタンなんて無理だっ!」ってそつ思うよね?でもね、僕は一度北H・ロシマでそういうハードルを乗り越えたんですよ。確かに北H・ロシマとエベツキスタンでは全く勝手が違うかもしれない。だけどそんなのは後から考えればいいんです。

これ僕の妻の写真ですね。後ろにいるのはたまたまバスで隣り合ったエベツキスタン人ですね。妻もね、彼に話しかけるのはすごく緊張してましたよ。でもいざ勇気を出して話しかけてみたら、ちゃんと言葉が通じたんですよ。そして今でもこのエベツキスタン人とは連絡を取っています。

今日ね、一番みなさんに伝えたいことはね、
「乗り越えられないハードルなんてない。勇気を出して踏み込んでみろ!」
ってことです。僕もね、交換留学の話をされるまで自分の夢なんて無理だって思ってました。でもね、今の世の中は便利な制度やサービスが本当にたくさんあるんですよ。だからね、絶対諦めてほしくないんです。そういう社会のシステムをうまく利用して、より良い人生を送ってもらいたいです。

今日この話を聞いて、少しでも今後の人生について考える機会を得てもらえたらとても嬉しいです。ありがとうございました。


えんど

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