実録 私の可能性〜自分に学ぶ生き方のヒント〜12

家族水入らずで過ごした数年間。


あの頃の
穏やかさに包まれたひとときを思い返すと、
私の心は一瞬にして和む。

幸せとは
何気ない日常のなかにある。

けれども
何気ない日常とは、

そうではなくなった時に
初めて気づくものなのかもしれない。



父親の命日は
偶然にも私の誕生月であった。

私はその翌年に
小学5年生になった。

それからの数年間
悲しみに打ちひしがれていると思いきや…

私はある意味
恵まれた時間を過ごしていた。



子どもの頃の私は
遊ぶことに楽しみを見出すことができた。

私にとって遊びは
大きな財産だったと思う。

悲しいことや
辛いことがあっても、

夢中になれる何かを
見つけることができたのだから。



私は友達にも
自然環境にも恵まれ、

放課後や休日ともなれば
夕日が沈む頃まで外を駆け回っていた。



とても活溌で
屋外で遊ぶことが好きだったが、

部屋で
ひとりで過ごす時間も好きだった。


私は音楽とともに、
多感な子ども時代を過ごした。

特に
ピアノの存在は大きく、
心の支えになったほどである。



私が幼い頃から
音楽に慣れ親しむことができたのも、

父親から受けた
恩恵のひとつである。

父親は多趣味であり、
音楽にも慣れ親しんでいた。

自宅にはピアノの他に
大きなステレオと無数のレコードがあった。



ステレオといえば
いくつか思い出がある。

両親が共働きだったため
私は保育園に通園していた。

ある日の朝
父親が童謡のレコードを取り出し、

通園前の私に
曲を聞かせてくれたことがあった。



ステレオは
来客用の応接室に置かれており、
音質も
音響効果も抜群だった。

窓から差し込んだ朝日が
部屋の中を輝きで満たしており、

まるで
一日の始まりが
特別なもののように思えた。

部屋いっぱいに広がる夢の世界に
私の胸は高鳴っていたのである。



また
別のある日のこと。

夕食後の時間だっただろうか。

ゆったりとした
曲が流れる部屋の中で、

両親がお互いの肩と腰に手を回し、
チークダンスを踊っていた。


私はふかふかの絨毯の上に
座り込みながら、

仲睦まじい
両親の姿を見つめていた。


ふたりのしぐさは、
見ている子どものほうが
気恥ずかしくなってしまうほどであった。




これらの回想録は全て、

家族の幸せを象徴する思い出として
今も私の心の中に生き続けている。


もし
この先に続く歴史がなければ、

遠いあの日の思い出が、
ここまで
まぶしく感じられることもなかったであろう。


父親が倒れたことで
我が家は一変し、

その後
母子家庭で育った私は、

その先に続く歴史を
歩んでいくことになった。



父親が元気で
生きてさえいれば、

家族が苦しみを背負うことも
なかっただろうと、

私はその後の人生の中で
何度となく思ってきた。



一方
父親がこの世を去ったことで、

父に対する罪悪感を含めた
私のモヤモヤとした気持ちは、

長い間
くすぶり続けることになった。


なぜなら
父親のいない人生が始まるのだと、
私は思い込んでいたからである。

そもそも
死んだ人間とは
二度と会うことができないし、

ましてや
話をすることなんてできない。



しかし
予想に反し、
物語は展開してゆくのである。










つづく

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