とある転勤族の子の一例

私には小学生の6年間で4回の引っ越し経験がある。
引っ越し範囲は国内全域。北は北海道、南は九州に住んでいた。
この経験は私にとって良いものではあったが、大人になった今、引っ越し経験によって形成されたであろう人格に悩んでもいる。
せっかくなので、これは引っ越し経験で身についたものと思われるという特徴を書き起こしてみる。

①人間関係のリセット癖がある
自分でリセットするというより、「どうせいつか強制リセットされる」という諦めを前提とした付き合いをしてしまう。どんなに好きな友達ができても、離れるときのことを考えて深くは付き合わなかった。現代であればSNSなどで繋がり続けることができるのかもしれないが、約20年前の小学生にとって、引っ越しは今生の別れを意味していた。
これがあって、今も人との距離感はよくわからないし、多分平均よりちょっと遠い付き合いをしていると思う。

②飽き性になった
これは元々の性格が大きいとは思うが、習い事も、転居に伴って続けられなくなることが多かった。どうせハマったところでずっとは続けられないだろうと思っていた。何かを極めるには環境も重要だと気づいた。ひとりで続けられる趣味を見つけられたらよかったと今は思う。

③自分から聞く力がついた
転校生に学内のシステムを教えるというカリキュラムはない(と思う)。学校内を案内してくれる有難い友達もいたが、校歌や宿題の出し方や給食のシステムは人に聞いたり察するしかない。嫌だろうと緊張するだろうと自分から質問して教えてもらうことをしないと生きていけない。これは高学年になるにつれてハードルが上がっていったように思う。
個人的にこれはとても苦手だったが、経験できてよかったことで、自分にとってプラスになったと思う。ただ苦手だったので、今誰かから「自分から質問できる人でいいね、仕事しやすいでしょ?自分はできないわー」と言われるともやっとする。それを身に着けずに生きてこれてうらやましいです、と言いたくなる。

④家族を大事にするようになった
題名から想像できる大事さではなく、家族単位で見知らぬ土地に移動したことで「この家でしか暮らせない」という前提が出来上がったという意味である。家族仲は良かったので問題ないが、なにかあっても家出できない、反抗したら家に居づらくなるという考えは頭の片隅にあった。そうなる必要はなかったかもしれないのに、必要以上にいい子ちゃんになっていたような気がする。

➄帰属意識がない
どこも地元と言えない。どこにいても「自分はよそ者」感がある。土地に対しても、学校や職場に対しても、自分がここにいていいという感覚を持つことができない。いずれ別のところに行くのだろうなと思っている。なんだかなあ、と思う。ある意味どこにでも行けると割り切って生きていきたい。

⑥頼れるところがない
自分だけかもしれないが、実家の移動と自分の独立のタイミングが同じだったので、今の実家に自分の荷物や部屋は存在しない。帰省をしても居候感覚である。そのため社会人になった今「何かあったら実家に戻る」という選択肢が無い。これがある人は強いなと思う。うらやましい。

⑦適応力が身についた
郷に入っては郷に従えである。方言はニュアンスで理解しなければいけないし、クラスの人間関係のどこに自分を位置付けるかも考える。初対面と話せるスキルも必要。自分にとっての当たり前は当たり前ではないという認識も持つことができた。しかし、逆に自分自身の軸を見失う要因になったかもしれない。視野が広くなった分ひとつのものに注視できなくなったと感じる。


ざっくばらんな文章になってしまったが、一言で表すなら「ふわふわしている」だろうか。私は永遠に旅人なのだと思う。そういえば16性格診断はISFPだった。
自分自身に芯がほしい、居場所がほしい、人と接する際に自然体でありたい(今はいい顔をしてしまう)と願うが、これを書いてみて今の自分では難しいと思った。人生無いものねだりである。
自分にあるものに焦点を当てて今後のことを考えてみよう。


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