やっぱり皮がスキ 32

M⑪

 メグミさんの決して広くないキッチンには、シルバーの本格的な調理機器がこれでもかと押し込められていた。
「ずいぶん昔、カリスマ・パティシエールを目指していた頃に買ったモノなんだけど、おかしいでしょ?」
「いえ、おかしいというか、圧倒されます。こんなキッチン見たこと無いので」
 調理機器よりも『カリスマ』のところに引っかかりながらも平静を装って答える。でも、あんなに美味しいケーキが作れる理由がわかった。元パティシエールだったのか。
 ジェフたちが帰ってくるまでの間、大量に持ってきたお土産の野菜を使って晩御飯の献立を考えようということになった。ジャガイモ、トウモロコシ、ナス、キュウリにトマト。うちの畑で採れた自慢の夏野菜だ。
「すごい量。どうやって食べればいいかしら?」
 あんなに美味しいケーキを作れるメグミさんだが、野菜のことで農家の娘が負けるワケにはいかない。女子力で張り合うつもりは無いけれど、困惑気味のメグミさんにお薦めの食べ方を披露する。
「これは新ジャガなので、じゃがバターや皮ごとポテトフライにすれば美味しいですよ。トウモロコシは蒸すととっても甘くてサイコーです。ナスは煮ても美味しいですけど、この立派なオーブンでチーズやベーコンを載せて焼いてみましょうか。キュウリは生が一番です。味噌でも塩でもマヨネーズでも、何を付けても美味しく食べられます」
「うわぁ、どれも美味しそう。じゃあトマトはモッツアレラと合せてカプレーゼにしましょうか?」
「それサイコーです」
「でも、野菜ばっかりというのもアレだから、鶏の唐揚げとか、豚の生姜焼きとかも作りましょうか?」
「完璧です。生姜焼きのタレでナスを炒めても美味しいんですよ」
「わー素敵! じゃあ買い物に行かなくちゃ」
 女二人が盛り上がっている間、ハヤトくんは持ってきていたガンガルのクルマの模型をバラしたり組み立てたりしながら大人しくしていた。
「ハヤトくん、スーパーに買い物行くから一緒に行きましょう」
 メグミさんが呼びかけると、素直に「うん」と返事をしてバラバラのクルマをそのままにして立ち上がった。元に戻せるのか心配になるほどバラバラだ。この子も伯父さんのようなすごい技術者になるのかしら。
 スーパーへ向かう道中、メグミさんが「ハヤトくん、食べ物なにが好きだっけ?」と尋ねると、素知らぬ顔で「唐揚げ」と答えた。
 きっと私たちの会話が聞こえていたに違いない。来る途中の食事でも唐揚は一度も選ばなかったし、一番好きではないだろうに。子供だと思ってたけど、意外と気を遣っているのね。
 しかし、メグミさんは無邪気に返す。
「本当に? 良かった。今日は唐揚げ作ろうと思ってたの」
 メグミさんって、やっぱり天然なのかしら。なんとなく雰囲気は感じてたんだよな。
 唐揚げ用の鶏もも肉と生姜焼き用の豚バラ、カプレーゼ用のモッツアレラにナスに載せるスライスチーズ、それからデザートのアイスを買って帰り、夕食の準備に取り掛かった。
 カプレーゼにたたきキュウリ、生姜焼き、ポテトフライと唐揚げ、蒸しトウモロコシにじゃがバター、次々とリビングのテーブルに出来上がった料理が並んでいく。お皿やグラスを並べるのはハヤトくんも手伝ってくれた。良い子だな。
 最後にナスのベーコンチーズ焼きが出来上がる直前に、二人が帰ってきた。
「ただいま」
 伯父さんの後に続いてジェフの大きな身体がリビングに現れる。肩には大きなビールの箱を担いでいた。
「うわぁ、すごいご馳走」
 驚く伯父さんと並んだジェフの表情が明るい。必要なモノが手に入ったのだろうか。
「ジェフ、どうだった?」
 恐る恐る聞いてみると、慌てて翻訳機を取り出し、人差し指を立てた。
「どうだった? 見付かったの?」
「はい。ケイイチが用意してくれました」
 満面の笑みを浮かべた。イケメンは落ち込んでいてもイケメンだけど、笑顔は本当にカッコイイ。引き込まれそうになりながら、「良かったね」と云い添える。
 そうか、見付かっちゃったんだ。

 料理はどれも美味しく出来ていた。みんなも「美味しい美味しい」と云いながら、よく飲んでよく食べた。本当に美味しかったのだけど、素直に喜べないわたしがいる。唐揚げの皮だけペロリと剥がして食べられなかったからではない。
「マドカとハヤトにはプレゼントがあります」
 不意にジェフがそう告げると、リュックからコンビニのチケットケースを差し出した。
「デイリーランドフリーパス。彼らのおかげで、私は自分の使命を果たすことができました。明日遊びに来てください」
 義理堅い人だ。イケメンなのに。ケースの中にはアドバンスド・フリーのチケット。これ、全てのアトラクションに待ち時間ゼロで入れる一番高いヤツだ。でも二枚しかない。
「ありがとう。でも、ジェフは行かないの?」
「明日、日本を出発します。だから二人で行ってほしい。本当にありがとう。私はこれしかできませんが、彼ら全員に感謝することはできません。」
「『感謝することはできません』って、翻訳おかしくない?」
 メグミさんがツッコむ傍で、もう慣れっこのわたしは別の感情を抱いていた。
 明日か・・・。
 探しているモノが見付かれば、アメリカに帰ってしまうことは判っていた。判っていたけど、こんなにも急だなんて。

 もうすぐ21時になろうかという頃、ジェフとわたしは伯父さんの家を出てホテルへ向かった。ジェフは大好きになったアサヒビールをたくさん飲んで気分が良さそうだ。ビールのせいだけではないのだろうけど。
 ホテルへ着いてチェックインを済ませ、部屋へと向かうエレベーターに乗り込んだ。わたしの部屋は11階、ジェフは9階。狭いエレベーターに大きなジェフと並んでいても、こんなに近くにいるのに、日本とアメリカくらい、果てしなく遠くに感じる。
 ホテル代はジェフがカードで払ってくれた。これで今回の出費は高速代とガソリン代だけで済みそうだ、なんて嬉しい気持ちにはあまりなれない。
 エレベーターが昇っていき、間もなく9階というところでジェフが口を開いた。
「マドカ、ちょっと飲みに行ってみませんか? クルマがあったので飲めませんでした」
「うん。ありがと」
「そして、10分後にロビーで」
「わかった」
「じゃあ、あとで」
 エレベーターを降りるジェフの背中がなんだか懐かしい。ハチュ顔の男の腕を捩じり上げたときの逞しい背中。ムキになってクレーンゲームに挑む無邪気な背中。展望台から鳴門大橋を眺める無防備な背中。
 わたしは大きな彼の背中ばかりを見詰め続けていたのかもしれない。
 部屋に入ると大急ぎで汗拭きシートを取り出して身体を拭い、Tシャツを着替えて、顔を洗ってメイクをやり直してから1階に下りると、ソファに座ってスマホを見ているジェフの姿が直ぐに目に付いた。
「おまたせ」と声を掛けると、一瞬驚いた顔をして、「ヤァ、レッツゴー」と笑顔で云った。
 ラウンジが備わっているような立派なホテルではないので、外に出て店を探す。すぐにチェーンの居酒屋が目に付いたが、さすがにもう食べられない。ラーメン屋、とんかつ屋、中華料理店、うなぎ屋と通り過ぎた後、チェーンのアイリッシュ・パブを発見。高松で行った事のある店だ。ここならジェフも言葉で困らないだろう。
「ここにしよう」といってドアを開く。
 まあまあ混んでいたが、いくつか空いたテーブルはある。客の半分が外国人といった感じだ。
 わたしはギネスのハーフパイントを頼むと、ジェフはエールビールの一パイントを注文した。あんなに飲んできたのに、まだビール飲むんだ。よっぽどビール好きなんだな。
 一番奥まったところの壁際に空いているカウンター席を見つけ、並んで腰かける。わたしには椅子が高くて、よいこらしょとよじ登るようにすると、ジェフはそっと背中に手を添えてフォローしてくれる。わたしが座ったのを確認してから、ジェフはスッと座った。
 優しいしカッコいいし嬉しいんだけど、それだけにスッと座れない自分にガッカリする。全然釣り合っていない。一口含んだギネスの苦い味が口の中に拡がった。
「マドカ、本当にありがとうございます。お父さん、お母さん、おじいさん、お兄さんなど、マドカ一家に感謝しています。本当にありがとう」
 わたしに語学力があれば、イケメンアメリカ人にこんな風に感謝されると、きっとトローンとなっちゃうんだろうけど、翻訳機の平坦なイントネーションと独特の云い回しが残念だ。でも、音声はともかく、視界に拡がる景色はハリウッド映画のワンシーンを切り取ったかのよう。わたしもハリウッド女優になったつもりで言葉を返す。
「わたしの方こそ楽しかったわ。あんな田舎町で外国人と知り合うことなんて全然なかったし、ジェフがうちに来てくれて、うちの家族もすごく楽しそうだった」
 少し気取ってそう答えてから、照れ隠しにごくごくとギネスを飲んだ。まだそんなに飲んでいないのに、なんだか顔が火照る。
 わたしの迷演技に噴き出すこともなく、ジェフはさらに続けた。
「でももっとありがとうございます。何かできることがあれば教えてください。」
 ジェフにできることって云われても、明日帰っちゃう人に頼めることなんてないよなぁ。さらにギネスを飲み込んでから答えた。
「もうデイリーランドのチケットもらったよ。十分すぎるよ。あれ高かったでしょ?」
「それはそのようなものではありません。他に欲しいものはありますか? バッグやジュエリー?」
 バッグにジェエリーかぁ。欲しくないと云えばウソになるけど、もっと欲しいモノは他にあるんだなぁ。
 残りのギネスを一気に飲み干し、酔ったつもりになって投げかけた。
「じゃあ、最後に一つだけお願いがあるの」
「ええ、何ですか? 何でも」
 前のめりになるジェフに、一呼吸おいてから告げた。
「朝まで、一緒にいて欲しい」

『やっぱり皮がスキ 33』につづく

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