やっぱり皮がスキ 35

M⑫

 ジェフが見えなくなると、ハヤトくんも手を振るのを止めた。
「じゃあ、行こうか。デイリーランド!」
 そう云うと、彼は不思議なモノを見るような顔でわたしを見上げ、躊躇いがちに「うん」と答えた。
 東関東自動車道に乗り、デイリーランドを目指す。
「10時半くらいには着けるかな。いっぱい遊べるね。どのアトラクションから攻めようか?」
 助手席に座るハヤトくんに声を掛けると、躊躇いがちに違う言葉が返ってきた。
「お姉さん、ジェフが帰っちゃって寂しくないの?」
「寂しいよ。でも、それはそれ、これはこれ。愉しむときは思いっきり愉しまなくっちゃ!」
「切り替え早いな・・・」
 ハヤトくんは、お別れの寂しさをまだ引き摺っているようだ。やっぱ、子供だな。
 そんなハヤトくんだったけど、到着して最初に入ったアトラクション、ジャングル・アドベンチャーのジープに乗り込む頃には、すっかり元気を取り戻して、密林から現れるトラやマントヒヒに向かって、これでもかと銃弾を浴びせ続けた。
 その後も次々とアトラクションを満喫した。スペース・スライダーにスマトラン・パイレーツ、ミクロンワールドにリッキーのスカイトラベル。老若男女が猛暑の中を二時間も三時間も並んでいる列を横目に、スイスイと割り込んでいける。アドバンスド・フリーすげぇ。上級国民になった気分だ。
 お昼ご飯は屋台のワッフルやピザで済ませるのが定番だったけど、アドバンスド・フリーにはディリー・レストランのお食事券まで付いている。わたしはリッキー・パスタセット、ハヤトくんはグーニーのハムステーキセットを選んだ。ま、味はそこそこだけど、アニメの世界に飛び込んだような雰囲気とお値段はしっかり上級国民よ。
 ユカたちも来てるかなと周りを見廻してみたけれど、この人の多さでは出合うことも無いだろう。もし出会ったとしたら、隣にいるのがイケメン外国人ではなく、ほっぺにケチャプを付けた小学生だとバレてしまう。
 ま、もうどうでもいいんだけどね。
 午後からもたくさんのアトラクションを廻り、ようやく疲れてきたのでグレート・バザールでお土産を買って帰ることにした。
 まず、家と兄貴の家族、それから安田歯科の人たちと、ナツミ。そうだ、ケイイチ夫妻にも何か買って帰ろう。ジェフが帰ることになったから、今夜は夫妻の家に泊まらせてもらうことになっていた。
 ハヤトくんもやっと自分のお金が使えると張り切って、アレコレと物色している。お母さんからお小遣いをもらって来たのに全然使っていないと不服そうに云っていたから、そのストレスをここで発散するのだろうと思っていたけど、ハヤトくんのカゴには、中くらいの缶入りのクッキーが一つと、キーホルダーが4つだけ。家用と友達の分かな。可愛いけど、やっぱ子供だな。
 でも、いくらアドバンスド・フリーとはいえ、この暑い中、喉も乾いたろうに泣き言一つ云わず、はしゃぐわたしに最後まで付いてきてくれた。エラい子だ。
 すっかりディリーを満喫したわたしたちは、午後4時頃に夢の国に別れを告げ、5時半頃にはケイイチ夫妻の家に帰り着いた。
「おかえりなさい。今日は暑かったでしょ?」
 メグミさんが明るく迎えてくれる。
「もう汗だくです。でも楽しかったよね?」
「うん。楽しかった」
 ハヤトくんは笑顔を浮かべたが、ちょっと疲れているっぽい。
「じゃあ、お風呂できてるから、先に入ってきなさい。今夜はバーベキューよ」
 ベランダではケイイチさんがぎこちない手つきでバーベキューコンロを組み立てていた。ロボットの部品は作れるのに、あの程度のモノに手古摺るとは。見た目通りアウトドアは苦手なのかな。
 ハヤトくんに続いてお風呂に入らせてもらった。お昼の汗も、朝の涙もきれいさっぱり洗い流し、清々しい気分でお風呂を上がると、ベランダのコンロの炭にようやく火が付いたところだった。ケイイチさんは汗だくだ。
「ウマい!」
 ビールを一口飲み込んで最初に声を上げたのもケイイチさんだ。わたしもつられるように声を上げる。
「ウマい!」
 まだまだ生温い風がそよぐベランダで飲む冷えたビールは最高だ。あまり好きでは無かったはずのに、また一歩オヤジに近づきつつある。
 アミの上では沢山のお肉がジュウジュウ油を垂らし、香ばしい匂いを街に振り撒いている。ハヤトくんは今日も炭酸水を飲みながら貪るように肉を食べていた。
「よく食べるねぇ。おいしい?」
 と聞くと、
「うん。家ではあんまりお肉出ないから」
 と切ない答えが返ってきた。
 そうだよね。農協勤務の家と農家の家は、やっぱ野菜中心だよね。
「ねぇ、そろそろいいかしら?」
 メグミさんはトウモロコシが焼き上がるのを待っている。
「大丈夫だと思います。生でも食べられるヤツなので」
「じゃあいただきます」とふうふうしながら一口齧り、期待通りの反応が返ってきた。
「あまーい! すごーい! おいしーい!」
 こうして千葉での最後の夜は愉しく更けていった。

 翌日、午前中は夫妻の家で過ごした。
 ハヤトくんはケイイチさんに自由研究の相談をしたいと云い、二人でケイイチさんの大学へ出かけてしまったので、わたしはメグミさんにシフォンケーキの作り方を教わった。
「シフォンを作るときは、卵黄に砂糖と油をしっかり混ぜ合わせること。ここで手を抜いちゃうとメレンゲと合わせたときに、気泡を潰しちゃうの」
 さすがプロの業と思わせる手際で、卵黄が白っぽくなるまで泡立てていく。途中でやらせてもらったけれど、持ち慣れないホイッパーにわたしの方が振り回されているみたいだ。
 続いてメレンゲ作り。こちらは電動泡立て器だからわたしでもなんとかできた。
「うん。いい感じ。シフォンには泡立てすぎない方がふっくら膨らむの。マカロンとかダックワーズにはピンと角が立つまで泡立てるんだけどね」
 ダックワーズ? あぁ、たしかシャトレーズで売ってたっけ。どんな味だか知らないけど。
「二つを合わせてさっくりと混ぜ合わせる。これで生地は出来上がり。あとは焼くだけ。180℃で25分くらい」
「へぇ、簡単ですね。これならわたしでも出来そう」
「チーズとか抹茶とか、何か混ぜるときは、卵黄に薄力粉を混ぜるタイミングで一緒に入れちゃえばいいから」
「判りました。これでわたしの女子力も急上昇です」
「マドカちゃん、お料理も上手だし、既に女子力高いじゃない?」
「いえいえ、農家の娘なので野菜の扱いに慣れているだけです。やっぱお菓子作りとかできた方が、女子力断然高いですよ」
 そこまで言うと、朗らかだったメグミさんの表情が急に萎んだ。
「ジェフ帰っちゃったけど、大丈夫?」
 あぁ、そっちの心配してくれてたんだ。それで昨夜はバーベキューで楽しい雰囲気作ってくれたんだな。
「あ、はい。ぜんぜん大丈夫です。最初から帰っちゃうことは判ってましたから」
 そう。本当にぜんぜん大丈夫だ。
「そぉう? なんか本当は落ち込んでるのに無理して明るく振る舞ってるのかなって、ちょっと心配になっちゃって」
「え、なんかスミマセン、心配かけちゃって。でも、本当にぜんぜん大丈夫です」
 本当に、ぜんぜん大丈夫だ。

 ケーキが焼き上がって、しっかり温度が下がってから型から取り出すと、完璧なフォルムのシフォンケーキが焼き上がっていた。
「すごい、キレイです!」
「うん。うまくできたね」
 男二人が帰ってくる前に試食した。
「おいしい! 一昨日いただいたチーズ風味も美味しかったですけど、プレーンでもぜんぜん美味しいですね」
「うん。おいしく出来てる。これ、カットして持って帰ったら。道中のオヤツにしてもいいし」
「ありがとうございます。そうします」

 男二人が戻って来てから、冷麺がお薦めだという近所の中華料理屋で昼食を済ませ、午後1時頃帰途に着いた。
「今日からUターンラッシュも始まると思うけど、気を付けて」
「はい。グッスリ眠れましたので大丈夫です。ありがとうございました」
「ハヤトも元気でな」
「うん。自由研究できたら送るから、見てね」
「マドカちゃん、本当にありがとう。お野菜毎日いただくわ」
「こちらこそ、いろいろとありがとうございました。本当に愉しかったです」
「ハヤトくんも、またいつでも遊びに来てね」
「はい。ありがとうございました」
 それぞれに別れの言葉を交わし、ひと夏の冒険が終わろうとしている。いや、まだこれから10時間超の最後の試練が残っていた。

 途中、二度の大きな渋滞を乗り越え、三度の休憩を挟み、7時間後、草津パーキングに到着。ここから順調に行けば約4時間。ギリギリ今日中に帰れるかどうか、というところだ。
 夕食はここで摂ることに決めていた。来たときのリベンジをするためだ。だから「お腹が空いた」とハヤトくんがシフォンケーキを食べている間も、わたしは「わたしの分は残しておいてよ」と忠告しただけで我慢した。
 ハヤトくんはオムライスを、わたしは唐揚げ定食を注文した。ハヤトくんの端末が先にブルブルし、戻ってくるなりわたしのもブルブルした。
「先に食べてていいよ」と云ってから取りに行ったにも関わらず、今度もハヤトくんは手を付けずに待っていた。なんだか大人ぶっちゃって。
「いただきます」
 二人で声を合わせてから、箸を手に取る。
 さあ、ついにこの時が来た。
 左手の人差し指と親指でお肉を押さえ、箸でつまんだ皮をベロリと剥がす。
 パクリ。
 サクサクの食感を追いかけるように染み出してくる脂。
 ハフーン!
 やっぱり皮は最高だ。

『やっぱり皮がスキ 36』につづく


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