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ドラキュラとゼノフォービア━3

 『ドラキュラ』が出版された1897年はイギリスのヴィクトリア女王の即位60周年━━ダイヤモンド・ジュビリーの年だった。大英帝国各地の軍隊(もちろん植民地を含む)がロンドンで祝典パレードを繰り広げた。
 世界中に植民地がある大英帝国は、まさに「日の沈まぬ国」として絶頂期を迎えていた。

 しかし、「盛者必衰」。頂点に達すれば、その先は停滞か衰退が待っている。イギリス人たちは得体のしれない不安を抱えていた。イギリスを追いかけるものがいる。いつか追い抜かれるかもしれない。

 丹治愛氏の著作『ドラキュラの世紀末~ヴィクトリア朝外国恐怖症ゼノフォービアの文化研究』から、没落不安症に陥ったイギリスの姿を見てみよう。

アメリカ恐怖

 イギリスがアメリカに対して恐怖心を持っていたというと、違和感があるかもしれない。
 同じアングロサクソンで英語を母国語とする国家どうし、親近感はあっても恐怖心など抱くだろうか。

 1880年から90年代ごろ、イギリスはどこの国とも同盟を結ばない政策をとっていた。ライバルフランスや、新興ドイツ帝国がヨーロッパの国々と様々な同盟を結んでいたのに対し、イギリスは孤立主義を貫き、それを「栄光ある孤立」と称していた。(栄光ある孤立をやめたのは、1902年の日英同盟を結んだとき)

 一方アメリカも、「モンロー原則」(1823)という孤立主義的方針を掲げていたという。
 アメリカは南北戦争後(1861~65)急速な発展を遂げつつあった。1890年までに西部のフロンティアは消滅した。しかし、アメリカの膨張は止まったわけではない。領土的野心に利用されたのがモンロー原則(モンロー主義)だった。

 モンロー原則はアメリカ大統領モンローが提唱した外交政策で、アメリカ大陸に対して他国(主にヨーロッパ)の新たな植民地化や政治干渉を許さないという宣言だった。そのかわり、アメリカもヨーロッパの外交に不干渉の立場をとる。
 つまり、ヨーロッパの覇権争いに巻き込まれたくないのだ。


 『ドラキュラ』の登場人物のクインシー・モリスはテキサス出身のアメリカ人という設定。

 テキサスは1836年、メキシコから独立し共和国となり、1845年にアメリカに併合される。
 このテキサス併合に利用されたのがモンロー原則だという。

 実はイギリス、フランスはテキサスは共和国のまま独立していてほしかったという。北米大陸に利害を所有する両国は、アメリカ合衆国の拡大を易々と認めるわけにはいかなかったのだ。
 だが、アメリカはモンロー原則を持ち出して拒絶した。

 さらに、カリフォルニアやニューメキシコも手に入れる。

 1895年にはキューバ独立運動に介入して米西戦争に勝利し、結果フィリピン、グアム、プエルトリコの領有権も獲得する。中南米、アジアにまで拠点が広がったのだ。

 『ドラキュラ』に、ドクター・シュワードの精神病院の患者でレンフィールドという男が出てくる。レンフィールドは生命を食するということに異常に関心のあるサイコパスで、ドラキュラと通じている。

 レンフィールドはモリスに対して次のように言う。

「ミスタ・モリス、あなたはご自分の大きな州を誇りに思うべきです。それが合衆国に併合されたことは、遠い将来にわたって影響力をもつかもしれない先例となりました。遠い将来、それにならって、極地と熱帯地方も星条旗に忠誠を誓うことになるかもしれません。モンロー原則が政治的物語としてその正しい地位を占めるとき、併合条約の力は拡大の大きなエンジンとなっていくかもしれません」(丹治愛 訳)

 「極地と熱帯地方も星条旗に忠誠を誓う」
 この狂人の予言は後にアラスカやハワイを併合することで実現されることになる。

 モンロー原則が拡大の大きなエンジンとなる。レンフィールドの(すなわちブラム・ストーカーの)鋭い指摘だ。

I don't drink….wine.
ペーパーバック版『ドラキュラ』
筆者所蔵(値札が付いたままだw)
表紙の写真は映画『魔人ドラキュラ』(1931米)でドラキュラ伯爵を演じたベラ・ルゴシ。
襟のあるマント、後ろになでつけた黒髪など、後のドラキュラのイメージはこの映画で作られた。
ドラキュラというキャラクターを最初に映像化したのはハリウッドだった。

 1895年、南米のイギリス領ギアナとヴェネズエラ共和国の国境問題にアメリカが口をはさんできたときも、モンロー原則は持ち出された。

 この国境問題は1814年以来延々と続いていたが、仲裁に出てきたアメリカをイギリスは拒絶し続けた。そもそもモンロー原則は国際法でもなく、イギリス政府が受け入れたわけではないというわけ。
 とうとう、アメリカはモンロー原則を蹂躙するものと怒り出し、イギリスに対して戦争をちらつかせるまでになった。

 それで結局どうなったかというと、アメリカとの関係悪化を恐れたイギリスが折れたのだった。

 ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟にも、ロシア、フランスの露仏同盟にも参加することなく、栄光ある孤立の道を選んだイギリス。
 かつては世界一の軍事力(とりわけ海軍力)を誇っていたが、それも昔のこと。他の列強が同盟を組み、一緒になって攻めてこられたら、太刀打ちできないことは明白だった。
 また、経済産業力もドイツやアメリカに追い上げられ、鉄鋼や石炭産業では追い抜かれていた。

 本当はだれか味方が欲しいのだ。

 『ドラキュラ』の中で、オランダ人ヴァン・ヘルシングは云う。「われわれには連合の力がある━━それは吸血鬼どもにはあたえられていない力だ」(丹治愛 訳)
 三人のイギリス人、一人のオランダ人とアメリカ人の連合である。イギリス単独ではない多国籍の連合が、恐ろしい吸血鬼に対抗しうる力になる。

 イギリスは連合の力を模索し始めていた。
 


 イギリスは同じアングロサクソン国家であり、強大になりつつあるアメリカ合衆国に親しみを感じつつ恐怖を抱いていた。

 『ドラキュラの世紀末』のイントロダクションの最初の項「ドラキュラの謎」で、丹治愛氏は「ドラキュラに立ち向かう5人の『善良で勇敢な男たち』のうち、なぜクインシー・モリスのみが命を落とさなければならなかったのか」という謎をあげる。

 ハーカー夫妻は奇しくもモリスの命日(そしてドラキュラの滅びた日でもある!)に生まれてきた息子に、共に戦った男たちの名を与え、もっぱらクインシーと呼ぶ。

 アメリカの象徴クインシー・モリスはイギリス人たちとの連合の力で敵と戦う。
 しかし、イギリスの地位を脅かすアメリカであるモリスは殺されなければならない。殺されてモリスは称賛される存在になる。
 そして、何とアメリカであるモリス(クインシー)はイギリス人の子供になる(!)。


 軍事力、経済力を高め、領土的野心をむき出しにする新興国アメリアは、吸血鬼を彷彿させる。それは、これまでのイギリスの姿でもある。
 「栄光ある孤立」「モンロー原則」の立場をとるイギリスとアメリカも、誰とも連合しない吸血鬼と一緒である。

 ドラキュラ伯爵はハーカーに語る。
「わたしはひじょうに長いあいだ支配者だったので、なお支配者でいたいのだ」(丹治愛 訳)

 
 

 

  
 

 


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