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江戸・東京を探訪『御茶ノ水』界隈!

#歴史 #江戸探訪 #東京探訪
#御茶ノ水 #神田川 #神田山

18歳で入った大学があったのがこの「お茶ノ水駅」の近く。高校生から晴れて大学生になった自分としては、大人になった気分でいた。しかもこの場所は、若者にとって目を輝かせることばかり。すぐ隣りには神保町の本屋街があり、楽器店も数多く立ちならぶ。名曲喫茶やジャズ喫茶まである。当時の自分にとっては、まさに新天地だった。

ただ卒業してからは足が遠のいてしまう。しかし、仕事の関係でまた「お茶の水」を訪れる機会があった。大学の時の4年と仕事での3年。つまり7年間というもの、「お茶の水」と付き合ったことになる。

そこから10数年が過ぎて「お茶ノ水」に行ってみると、さらに驚いた。なんと高層ビル群になっているではないか!まったく風景が様変わりしていることに仰天。しかしよくよく見ると、以前の大学や病院施設などはそのまま残っている。キホンは変わっていないのだと感じた。

*「お茶ノ水」界隈その歴史
この場所、もともと神田山と呼ばれた盛りあがった土地だった。秀吉が小田原北条攻めで滅ぼし、家康を関東への国替えさせたのが1590年。家康はその居城を太田道灌がつくった江戸城とした。当時の江戸は、いくつもの川が流れこみ広大な湿地帯が広がっていた。

台地と湿地帯そして入江、これでは街は築けない。大改修にかかることになる。頼りにしたのが、知識人で技術者。天海和尚もその一人だった。まずおこなったのは、日比谷入江の埋め立て。日比谷は当時、遠浅の海だった。ここを神田山を切り崩した土砂で埋め立てた。

また河川の大改修もおこなっている。もともとお茶ノ水近辺には神田川という小さな川が流れていたが、これを掘削して、3つの河川(石神井川、平川、小石川)をまとめて、下流の隅田川へと繋いだのだ。この工事は、仙台伊達藩によっておこなわれたという。つまり、お茶ノ水で見られる神田川は、人工の渓谷ということだ。

*「お茶ノ水」名称の由来
JR「お茶ノ水駅」を出て、すぐ横、線路に並行してある路地を「茗渓通り」という。この「茗」とは、お茶のことだ。この地にあった高林寺の井戸水が、きわめて良質ということもあって、徳川将軍家に献上された。

お茶は、武士のたしなみである。ここで採れた水が、どれほど武士にとって、ありがたかったことか!想像はできるだろう。今なら「名水100 選」の一つと言うことになるかもしれない。
 
*学問の聖地「御茶ノ水」
神田川沿いに、1690年(元禄3年)湯島聖堂が建てられた。これは5代将軍綱吉によってつくられたものだ。なかに入ると孔子廟が置かれている。江戸期、学問の中心は儒教であり、幕府は後に直轄の学問所とした。

明治になると、学問所は廃止される。代わってこの土地の近くに師範学校などの学校をつくった。これが契機となり、つぎつぎに「お茶の水」付近に学校が設立されていくことになる。いまの「お茶ノ水」界隈の大学は、この名残ともいえるだろう。

*多くの病院がある理由
これは小石川養生に端を発する。小石川のとなりの本郷に、薬業者が居を構えたことによるようだ。現在でも、医療機器メーカーなどが本郷には多くある。そのため「お茶ノ水」界隈に病院がつくられたとも言う。

駅近くの神田川沿いには、順天堂病院と東京医科歯科大学病院の建物が目立つ。私が仕事で関わったのも、これらの病院や医療関係の会社だった。これも「お茶の水」を語るうえでは外すことのできない事柄だろう。

*楽器とスポーツ用品店の街
これは学生の街だったことが影響しているようだ。学生運動が盛んな時代、学生をふくむ若者たちが手にしたのはギターだった。ベトナム戦争への反対も、このギターの曲に載せて人々に訴えた。

一方、スポーツも時代とともにブームとなる。やはり時代をリードしたのが学生だったようだ。1927年の冬季オリンピックから1931年のベーブルース来日、1956年の冬季オリンピックでは、スキー競技で銀メダルを日本人選手が獲得。これで火がついたと言われている。

まとめ
神田川にかけられた「聖橋」(ひじりばし)その下を覗くと、そのあまりの深さに少々怖くなる。これが人の手によって掘られたものと聞いてニ度おどろいた。またこの聖橋は、1923年の関東大震災復興のを記念してつくられたものだと言う。

聖橋は、神田明神から湯島聖堂そしてニコライ堂をつなぐ橋である。「お茶ノ水」は、宗教的な意味合いをもつ土地とも言えるようだ。ニコライ堂はあの大空襲でも被害がなかった。米軍はキリスト教(正教会)の大聖堂だから、あえて避けたとされているが、本当だろうか。

いずれにしても、この「お茶の水」という場所は日本にはなかなかない街といえるようだ。行けば必ず何かワクワクさせてくれるものがある。そんな土地と、ある期間だが生活を共にできたのは、なんと運が良かったのだろう。

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