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趣味や娯楽は衝動でしか動けない悲しみ

ふと1か月後の予定を見てみる。

週末には○○のライブの予定。平日の夜□時には△△と飲みの予定など。

これは自分の中では趣味、娯楽っていうフォルダに分類される出来事なんだが、そういう予定って近づくとどうしても億劫になりがち。

どうせこのライブに行かなくても最高のイヤホンとスピーカーで再生されるし、何より誰にも邪魔されず好きな○○と対等な関係で音楽を聴くことができる。

そう、独り占めできるじゃんか‼‼‼‼‼

とか

今日は疲れてしまって、たぶん一緒に飲んだ時に相手に変な気を遣わせてしまうな。予定を立ててくれたけど、たぶん相手も疲れているだろうしまた別日に予定を立ててしまおう。

そう、やっぱり疲れている時は迷惑かけない方がいいに違いない‼‼‼‼‼

とか

いとも簡単に屁理屈を作り出しては、その予定を自分の衝動で取り消してしまう事が多い。

驚いたことに、実際に友人などと会う上で
何か月とか数週間前位に決まった予定がちゃんと開催される回数と急に開催されなくなる回数を比べた時に、どう考えても急に開催されなくなる回数の方が多くなるのは不思議である。

仕事とか習慣とか
そういったものには簡単に予定に沿って動けるのに

趣味や娯楽に対しては
結局心の赴くままにしか動けない。

総じて悔しいよね。

自分の中では、仕事にも趣味や娯楽にも優先順位という物はつけていないつもり(結局、何事も真剣になっている自分に酔いたいんだろう)だから、実際にこうやって仕事、習慣>娯楽、趣味みたいになってしまっているのがわけわからん(笑)

そこで自分は新たな屁理屈を考えればいいとなった。

趣味を「これです!」
と断言できる人は怖くないかと考えればおそらく納得がいく。

仕事もそうだけれども、あらゆる選択肢の中から趣味はこれだと断言してそれを実際に突き詰めている人は単純明快でそれだけさえやっていれば自分を守ることができるじゃんか。

実際にはもっとたくさんの趣味や娯楽のジャンルがあるのに、、、

自分はそういう物ごとに縛られずにいろいろなものに触れあって、、、、

って考えてみたりする。

一時の効果はある。間違いない。

けれども自分を思い込みの洗脳にかけてみても勝てないものは存在する。

それが衝動だ。

どこからともなく現れるそいつは、そんな思い込みすらも吹き飛ばし、自分の理性すらも吹き飛ばし、完全に自分を支配してくる。

それは特に趣味や娯楽に関して支配されることが多い。

自由とか制限がないとかそういう理由からだろう。

正直もうその衝動には飽き飽きしている。
パターンもわかっているはずなのに、新種のウイルスみたいに襲ってくる。

この戦いはいつまで続くんだろうとか考えながら、今日も雨の中疲れ切った体で読書という娯楽をする予定を立てている。

今日こそは憂鬱になって動きたくない衝動に負けるなと心に鞭を打ちながら、キーボードを打っている。

今度はどこからやってくるんだ、衝動よ
たまには事前告知してくれ、特に趣味や娯楽の時ね


とまぁ、愚痴みたいな内容になってしまいました。

少しでも響いてくれたら幸いです。

ここまで読んでくださった方がいたら感謝感激です

それではまたどこかで。

またねっ







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