見出し画像

自分なりのスジを通すということ3

『余命6ヶ月の癌なんだ』という兄貴分のカミングアウトが、頭の中で連呼する。

そうそれを聞いたのは、九州上陸して自動販売機のコーヒーを飲みながら、一服(タバコは20年前に辞めてる!)している時に、LINEで知った。

本人にかなりの葛藤があったんだろう、LINEの削除が何通か目に付いた。

が、その時の俺は、初の九州上陸によるハイテンションMAX状態と癌は絶対治ると信じきっている楽観的主義的な性格が相まって、『そんなに簡単にあっち(あの世)には、行かせはしない!』って返信していた。

思い起こせば、彼と初めて出会ったのは、仙台で名の通っているバイク屋だった。
事実、仙台で知り合った別々のバイク乗り達から、同じこの店を勧められていた。

が、キッカケもなく尋ねるっていうのもなんだしって、結局一年くらいモゾモゾして、ようやく意を決して訪れたんだった。

高速道路の進入の際、ETCゲートでバーが開かなかったから、『様子を見て貰えんか?』って確か初対面でいきなり、修理の話を振ったんだよなぁ〜

そしたら、体・程?(てい)良く断られたんだよ。
今度はゆっくり進入してみたらイイとかなんとか言われて、お引き取りくださいってな感じだったなぁ。

打ち解けてから、アレはいったい何だったんだ?って話になって、本人に聞いてみたら、ヤベェ奴が来たって思ったんだって!

世界に何台もないバイクに跨って、
LAST BIKER(ラストバイカー:最上級の彼の褒め言葉)に、ETCの調子を見てくれったって、こんなバイクなんか、怖くてとても見れないよ!って後日談で教えてくれたよな。

こちとら、なんのことないETCの点検がキッカケで、互いの距離が近づくんじゃないかって考えてたもんだから、かなりの拍子抜けを食らった感じだった。

このバイク屋のバーベキューイベントやクリスマスパーティー、それにツーリングと人とツルむことが嫌いな俺が、ほぼ全て参加していた。

ココのバイク屋と、また仙台のバイクウェアとアイテムのセレクトショップに通う面々(お客)と、次第に打ち解けていった。

そう、仙台には共通の趣味を持つ仲間(照れ臭さ)が、彼のおかげで増えていったんだ。

九州から戻ったら、すぐにでも仙台に行きたい!

気持ちが焦るが、どうしてもサラリーマンという職業は時間的に不自由すぎで、有給の日数はたんまり残っているが、スケジュールが詰まり過ぎて全く融通が効かない。

親の死に目に会えないのが芸能界って言われていたけど、充分サラリーマンも怪しいもんだ。
ブラック企業なんて言葉が流行り出して、都合良く利用されることが、世の中に浸透したことで反抗するより、諦める人が増えたように思う。

ようやく仙台に向かうことができたのは、翌年のゴールデンウィークだった。

なんとか延命させようと、神社を巡った。
特に石切神社の効果が大きかったらしく、余命6ヶ月を越えて、ゴールデンウィークまで俺を待ってくれていた。

自宅療養をしていた彼に会えたが、抗がん剤の副作用で身体がとても辛いようで、感情もコントロールできない状態だったが、生きている間に会えて本当に良かった。

その2ヶ月後、七夕の前日に彼は旅立った。

告別式と葬式に行きたかったが行けなかった。
いや、怖気づいて行かなかったんだ。
夜中の800キロに・・・

今ではちょいと気合いを入れれば、なんのことはない800キロが、この時はまだまだ心が弱かったんだよな!

大阪〜仙台の行きは名古屋港〜仙台港へのフェリーを利用して、帰りはバイクで自走で帰宅。

それでも、結構しんどかった。

それを、1回・2回と繰り返したら、どちらもバイク自走で行けるんじゃ?って意識が切り替わっちゃてね。

試してみたら、何のことことはない。
俺は何にビビってたんだって思った。

結局、自分のただの思い込みに対してだ。

ただ思うのは、この自由の効かないサラリーマン、これを何とかしなければならない。

ホンキで環境を変えなければ、本当につまらない人生になることだけは分かった。

もう、会社の為だとかという奴隷根性もいらねぇよな!

遠慮すんのはもう辞めだ!

つづく!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?