ほしいのは「与えるべき愛の対象」
「自分の居場所がほしい」と思う彼に一体何を与えることができるのだろう。
私と彼は根本的にとても似ていて、望むものまでほぼ同じだ。
私達はなにかの「愛」に飢えている。
家族の「愛」も、友人の「愛」も、一切感じたことがないと言えば嘘になる。そういう感情は間違いなく受け取ったことはある。
だけどそれでも「愛」に飢えている。
それはなぜなんだろう。
どうしてなんだろう。
どうしてこんなにも我儘に、純粋な「愛」すべてを受け止めてくれる存在を求めるんだろう。
そんなことを思っていたときにふと気づく。
たぶんこの感情は、自分に向けられた「愛」がほしいのではなく、自分が向けるべき「愛」がほしいんだ。
無償に「愛している」と思える存在に飢えているんだ。
これはとても困ったことだ。
私は正直人生を今の記憶をもったままやり直せたとして、全く違う人生になった際に、それでも出会いたかった人間が、「彼」含めていたかというとおそらくいない。
私達の向ける「愛」はとても貴重でめったに見つかるものではないんだよな。
「求める人」になら「与える」ことはできるんだろう。
でも、
「与えたい」と思っている人に、
一体何を差し出せるのか。
分からないや。
また一つ彼に近づいて、また一つ、彼から自分で遠ざかってしまった。
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