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シンエヴァ)ゲンドウはオレだ、シンジもオレだ。アスカもミサトも......

シンエヴァを最初に見たときにもっとも「刺さった」のは、ゲンドウの「告解(独話)」の部分でした。
セリフの委細は省きますが、ASD(自閉症スペクトラム)当事者の自分は、ゲンドウの告解は他人事とは思えませんでした。

おそらく「定常発達」の方々は「なにをゲンドウくんキショいこと言うてんの」と思われたかと思いますが、少なくとも私は、「不確定要素の多い、他者との関わりを避ける」「予測可能性の高い、知識や音階に惹かれる」「自分を無条件で受け入れてくれる存在に無条件ですがる」........ゲンドウが縷々述べたあれやこれやに、激しく同意せざるを得ませんでした。

あと、シンジの「弱さ」を突くアスカの言葉も、自分には大いに刺さりましたね「あんた.....メンタル弱すぎ。どうせやることなすこと裏目に出て、取り返しがつかなくなって、全部自分のせいだからもう何もしたくないってだけでしょう?」(それだけに、その後のシンジの回復過程も他人事とは思えませんでした)

庵野秀明総監督の「鬱からの回復過程」もシンエヴァには大いに反映されていると思われますが、それを当事者ではない観衆にどう受け入れてもらうかは、かなりの苦心があったのではと推察します(「プロフェッショナル 仕事の流儀」や「さようなら 全てのエヴァンゲリオン」でも、「もっと理解されていると思ってた(が、そうではなかった)」といった、庵野氏の感慨が収められています)。

と同時に、シンエヴァを賛否毀誉褒貶真っ二つに割る作品にした所以も、この辺にあるように思えるのです。心苦の当事者にとっては、シンジやゲンドウのみならず、それぞれのキャラクターに抱えるべき心苦があると解って、どこからでも自分の心苦やその先のカタルシスに至る道筋を感じ取る作品になっていると思うのですが、そうでない人たちには「なんで第3村みたいな原始共産制みたいな世界に飛ばされるん?」「ゲンドウの独り語りってアレ何なん?」といった疑念しか抱かし得ないのかもしれません。

それでも構わんと居直れるようになったのが、今の庵野秀明総監督なのかもしれません(テレビ版+旧劇場版の頃はディスりスレに猛烈に落ち込み自死すら考えたと述懐していますが)。

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