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彼は窓際の一番後ろの席を聖域と呼んだ

「はいじゃあ、35ページの練習問題解いて。10分後。当てるけんな」

 久保塚(クボヅカ)先生の言葉を合図に、2年B組の生徒は一斉に教科書に視線を落とした。問1。ビーカーに沸騰石を入れる理由を答えよ。問2。ガスバーナーの着火手順を正しく並べよ。

 ノートを見つつ、教科書をちょっと戻りつつ、私は問題を解いていく。問3。以下の液体を、沸点の低い順に並べよ──スコンッッッ

「だっ!?」

 隣の席でうつらうつらしていた山本くんが出席簿でドツかれた。

「寝るな」

 久保塚先生は普段は気のいいおじさんなのだが、生徒を叱るときには容赦がない。今だって、山本君がドツかれたのは出席簿の背表紙だった。敢えて痛いほうだ。

 気を取り直して、私は問題に集中する。問4、問5。今日の練習問題はどれも割と簡単だ。

 ……そうして5分ほど経った頃。

 私が問題を解き終わったとき、教室にその音が響いた。

 カラカラカラカラ。

 それは、ベランダの窓が開く音。音に釣られるように、みんなの視線がそちらを向く。窓を開けたのは久保塚先生だ。

 振り向いた久保塚先生は、悪戯を見とがめられた子供のような顔でこう言った。

「ちょっと、A組覗いてくるわ」

 久保塚先生はA組の担任だ。A組とB組の教室はベランダでも行き来できるので、ふらりと言って様子を見に行こうというのだろう。

 先生の珍しいな行動に、にわかに教室がざわめきだす。そんな私たちに向かって「あと5分やけ。ちゃんと解いとけよー」と言い残して、久保塚先生はのそりとベランダに出ていく。

「……なぁ、木村」

 私が先生を見送っていると……右袖を、山本君が引っ張った。

「ん?」

 振り返ると、山本君はなにか気まずそうに眉を寄せていた。居眠りの件かな? でも、彼はそんなことで気まずそうにするキャラじゃないし……などと首を傾げた私に、山本君は言葉を続ける。

「なぁ、A組ってさ……今数学の授業じゃね?」

「あー、そうかも? さっきハナが教科書借りにきたし」

「だよな。てことは──」

 山本君が言いかけた、その時だった。

「お前なんしょっか! 立てや!」

「「「!?」」」

 隣の教室から聞こえてきたのは、久保塚先生の怒鳴り声だった。自分たちが怒られたかの如く、B組の生徒たちはびくりと身を竦ませる。

 そんな中、山本君を含めた数人の男子が、大きなため息をついていた。彼らは顔を見合わせ、呆れたように笑っている。

「あーあ……」「やっぱし……」

「ねぇ山本君、なんか知っとるん?」

 ざわつく教室内で、私は彼に声を掛ける。山本君は小さく頷き、ベランダを一瞥してから私に顔を寄せてきた。

「A組の数学さ、ヒス子やん?」

「うん」

 ヒス子とは、数学の先生のあだ名だ。気に入らないことがあるとすぐにヒステリックを起こすのでつけられたもので、まぁ良い意味のあだ名ではない。

「ヒス子んとき、芝田たちはいつも漫画読んどんちゃ」

「あーね……」

 そもそも漫画を学校に持ち込むのは校則違反だ。

 そして、授業中にそれを読むのはもっとダメだ。

 そしてそして、久保塚先生は……

 ……普段は気のいいおじさんなのだが、生徒を叱るときには容赦がないのだ。

「お前これなんかちゃ! おォ!? 言うてみィや!」

 隣からは容赦なく怒声が聞こえている。あとから聞いた話だが、ウチを挟んで逆サイドのC組にもその声は聞こえていたらしい。追って聞こえたスパーンッという音は出席簿が奏でた音だろうか。

 私が事態を把握したのを見てとって、山本君は再び悪友たちとの会話に戻った。

 手持ち無沙汰と落ち着かなさが一緒に襲ってきて、私はくるくるとペンを回しながら教室を見渡す。

「……てかさ、俺らもやばくね?」

「んでも、今動くわけにはいかんやろ」

「だよね。うわぁ即座に持ち検とかありませんよーに……っ!」

 男子たちはそんな会話をしながら、机に提げた自分の鞄をまさぐっている。漫画だかカードゲームだか、それともゲームボーイだろうか。

 一方、二つ隣の席では末永さんがブラの中になにかを捻じ込んでいた。……恐らく化粧品だろう。こういう時は女子のほうが動きが早い。と──

 ドスドスと、ベランダが揺れんばかりの足音。男子は慌てて鞄から手を引っこ抜き、末永さんは冷静に制服の前を閉じた。

 ──教室が一斉に静まり返る。

 そして、鬼の形相の久保塚先生が、B組に顔をのぞかせた。

「自習」

「……はい」

 その返事は誰のものだったか。

 久保塚先生は再びA組へと戻り、そこからチャイムが鳴るまで怒鳴り続けていた。

 その後、漫画を貸した張本人である山本君が職員室に連行されていったのだけど、それはまた別のお話。

(おわり/1885字)

質問箱でリクエストをいただいたので、ノンフィクションを一本。
隣のクラスの担任が、授業中にベランダ経由で隣のクラスに行く→怒鳴り声が聞こえてきた顛末。
人名は変えています。当時は普通に体罰が横行していたので、漫画が見つかった芝田君(仮名)をはじめとした数名は文字通りボッコボコにされていました。
 起きた事態は面白いのだけど結末が面白くできないねぇノンフィクション。うまいことオチをつけたいのだけども。難しい。


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