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フランスで警官に職務質問された話

 「うかつだった。」と思ったときにはすでに遅く、3人の警官がまたたく間にわたくしを取り囲んだ。
 「ここで何をしている?何を撮ったんだ?」
 「建築です。あの、わたくし建築に興味があって、この建物はそれなりに有名な人が設計したものなんですよ。だから写真を撮りました。」
 「何を言っているんだ?とりあえず署内で尋問させてもらおうか。」
 というわけで図らずもわたくしは、何てかっこいい建築だろう、と感激した建物の中に入ることができたのである。取り調べのため連行される、という形で。
 上記のやりとりはフランス、パリ近郊の街ナンテールの高速道路14号線高架下にて行われたものである。この高速道路14号線高架は、建築家のオディール・デックやエンジニアのRERやアラップなどのチームが橋脚や道路管制施設を設計しており、建築・土木見学好きにとってはたぶんそれなりに有名な作品である。本が手元にないので今は確認できないが、たしかフラマリオン出版の『現代建築ガイド』でも紹介されていた物件だったと思う。この管制施設はのちに警察機動隊の派出所に用途変更され、今に至る。
 それで実際に見学に行ってみたのだけれど、この高架下一帯は素晴らしく良質な空間だった。そもそもナンテール市のこのあたりは2000年代くらいから大規模な都市開発プロジェクトが進行しており、環境とか景観とか土地利用の構成とかに対する配慮が随所にうかがわれる、居心地の良い界隈がいくつも出現しているエリアになっている。

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高速道路に沿うように延びる、広々として開放的な公園。そこで思い思いに憩う家族連れや散歩人。付近をゆったりと流れるセーヌ川。ポップな赤いアーチで軽やかに橋を支える構造物。公園から赤い放物線がちらっと見えて、あれは何だろうと近づいてみると、橋脚がリズミカルに頭上の道路を支えているのだと分かるという一連の流れ。それらが一体となって、平和でのどかで楽しげな郊外の風景を現出せしめていた。高架下というとふつう、フランスだと特に、荒んで殺風景な風景が広がりがちだけれどここはその正反対だった。

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 想像以上に快い空間が広がっていたことに興奮して、つい写真を撮りまくってしまった。公園、橋脚に感動したのち、橋脚部にさらに接近すると、真打ち登場といわんばかりに上述のオディール・デック設計の旧管制塔、現警察署が見えてくる。コース料理で例えると前菜、副菜のおいしさに感動しているところにさらに見事な主菜が登場してくるようなものである。この建物が警察関連の建物になっていることは下調べして知っていたし、そうした建物にカメラをやたらと向けるのはよろしくないことも心得てはいた。が、もう目の前のごちそう(建築)に眼がくらんでテンションが上がりまくってしまっていたせいでつい、ちょっとくらいなら大丈夫だろ、と思い不用意に建物に接近して写真を摂り始めてしまった。いや、撮り始めてしまった。その刹那、冒頭の出来事が起こったのである。
 ほんとうにあっという間の出来事だった。撮っているところを警官にばっちり見られて、「やべっ」と思った次の瞬間にはわたくしはもう取り囲まれていた。すごい早業だった。他人事のように、「素早いな。」と、思わず感心してしまった。わたくしがこの旧管制施設を訪れたのは2018年はじめだったが、フランスは2015年11月に起こった同時多発テロ事件がいまだ尾を引いており、特に警察関連施設にはぴりぴりした雰囲気が漂い続けていた。たしか2016年くらいに、かなり具体的なテロ計画がナンテールでも進行中であることを警察が突きとめ、これを未然に防いだという事案がフランスの世を騒がせたようなこともあった。だから、不審な若者がふらふら警察施設に近づいておもむろに写真を撮り始めたりしたら、それは捕獲対象になるに決まってるな、と今にして思う。事後的に書くと割と落ち着いているかのように見えるが署内に連行されている最中は、突然の出来事であったこともあり、けっこう気が動転していた。「フランスで邦人留学生の身柄確保、テロ計画容疑か」といった新聞3面記事タイトルが頭をよぎり、親兄弟や、日本やフランスでお世話になっている指導教授の顔が走馬灯のように脳裏に浮かんでは消えた。
 連れていかれた署内の様子はメタリックで無機質だった。近未来的なこの建築の内観に相応しい雰囲気であったが、警察署に用途変更された際に内装に手が加えられてこのようになったのかもしれない。そのあたりの事情は分からない。取り調べ時には改めて、自分は単なる留学生で建築を見るのが好きで、建築紹介本にこの建物が載っていたから見学に来たのだと伝える。事情説明を終える頃には、「こいつは恐らく無害な奴だろう」と警官たちも察してきたような気がした。この施設が建築本で紹介されている、と言ったら「へえ。この建物がねえ。」といった感じの反応。わたくしがアジア人だったから、という事実もこの緊張緩和に寄与していたことだろう。これが北アフリカ系もしくはアラブ系の人だったらやりとりはもっと剣呑で張り詰めたものになっていたに違いない。取り調べとしては他に、フランスでの現住所を書かされたり学生証を見せたりした。パスポートはこの場では持っていないと言ったら、生年月日と出生地を書くよう命じられた。私は福岡県生まれなので“Fukuoka”と書いたら、「フクシマか?」と冗談ぽく訊かれた。茶化すような嫌な感じの尋ね方ではなかったものの、福島はもう、普通のフランス人にとってもすっかり有名な固有名詞になってしまったのだなと思って少し切なくなった。
 何かまずいものが写りこんでいはしないか、最後に念のためカメラのデータを確認したいと言われたので素直に手渡す。持っていたカメラは建築見学活動のためだけにしか使っていないものだったので、わたくしが本当にただの建築愛好家でしかないこと、「シロ」であることを証しする格好の物的証拠になると思い、むしろ喜んで手渡した。ひととおりデータを検分した警官3人は、「ほんとに建築しか撮ってないな・・・」と、若干呆れ気味だった。というか軽く引いていた。「でしょでしょ?」と、心のなかで返事をして、晴れてわたくしは無罪放免となった。とはいえ、「今後は警察関連の建物は撮らぬように。今度同じようなことやったら、要注意人物として君の個人データはフランス警察内で共有されることになるから。」と釘は刺された。
 尋問を終えて外に出ると、大袈裟だが娑婆に戻ってきたといった感じがした。陽は少し傾いていた。西日を浴びつつ赤いアーチは相変わらず道路を軽快に支えていたし、広い公園内では相変わらずマダムやムッシューの井戸端会議に華が咲き、子供らの歓声が四方に響き渡り、風が吹いて背の高い草がそよそよしていた。気を取り直してわたくしは次の建築見学対象物件に歩を急がせた。

 ナンテール高架下や、周辺の雰囲気が分かる他の写真は以下からどうぞ。


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