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クモとうさぎとネスキオ橋

 アムステルダム東部アイブルフ(Ijburg)の長閑な田舎にかかるネスキオ橋(Nesciobrug)はシルエットの優美な吊り橋で、かつ、橋の両端がふたまたに分かれている面白い造りをしている。そのため橋梁・土木ファンにおすすめな物件なのだけれど、割と辺鄙なところにあるので行きにくい。

 アムステルダム観光をした際、私はアイブルフに宿をとっていた。宿からネスキオ橋までは往復5kmもない程度。モーニングジョグをキメれば行ける距離だ。というわけで行ってみた。(なお、ネスキオ橋へのもっとも一般的なアプローチ法はレンタカーかレンタサイクルになると思う。)

 朝いちばんで、その日(たぶん)まだ誰も通行していない道を走るのはとても気持ちがよい。8月終わりのネザーランズの朝は、広大な草原も緑色の大気もモイスティーに潤いまくっていた。それだけだったら非常に快適な寝起きランだったのだけれど路上でどういうわけかクモが糸を張りまくっていて、走ったらあっという間にクモの糸まみれになってしまい、ちょっと閉口した。これは夜中か明け方にクモが宙空に向かって糸を吐き出し、それが朝の道端にたなびいているということなんだろうか。それともクモが糸を吐きながら道を横切るようにダイビングしまくっているのだろうか。とにかく本当にクモの糸だらけで困った。

 あと、道中の草原ではものすごくたくさんのうさぎを見かけた。最初はものめづらしく、「あ。うさぎだ。かわいいなあ。」と思って走っていたのだが、兎に角うじゃうじゃ見かけるのでうさぎの国にでも迷い込んでしまったのかと思って少し不安になった。ミッフィーちゃんの祖国なので、うさぎの国といってもあながち間違っていないのかもしれないけれど。それにしてもなぜこんなにうさぎだらけなのだろうか。謎である。

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 クモの糸まみれになりつつ、「なんでこんなにうさぎがいるのだろう」と思いながら、そしてたまにサイクリストを見かけつつ15分も走っているとネスキオ橋に着いた。橋を吊っている主塔が2本すらりと立っているのが遠くからでも見えて主塔自体もまた空から吊られているかに見えた、ということは橋自体もまた空からかろやかに吊られているかにも見えた。そしてさすが自転車の国ネザーランズだけあって、自転車で容易に渡れるよう傾斜が非常にゆるやかに引き延ばされて、橋梁全体のスケールが雄大でおおらかだった。

 走って渡ってみると眺めも良く、宙空に張られた糸をつたって川を渡っているかのような気分になってこころよかった。それこそ、クモの糸の上をすべるように走っているみたいだった。すでにクモの糸まみれになっている我が身としては、この橋はきっと、ここら一帯の草原地帯で糸を張っているクモからインスピレーションを得ているに違いない、と思わずにいられなかった。たぶん実際はそんな意図で設計したわけはないのだろうけれど、そのような勝手な妄想を抱きながら走って橋を渡って愉しかった。

 モーニングジョグを終えて宿に戻っておいしい朝ごはんを食べた。私が宿泊したのは Marbles Inn  という B&B 形式の宿で、オーナーの方(←アヤックスファン)はとても気さくで良い人だった。パンやチーズやオレンジジュースをいただきながら、さっき見てきた橋の感想を告げつつ「ところでなんであんなにうさぎがたくさんいるんですか?」とオーナーの方に尋ねてみると、「たしかにいっぱいいるよね。でもなんであんなにたくさんいるのか僕にもよく分からないんだよね。」とのこと。おおらかだ。今朝がた、のどかなネザーランズの風景のなかを走ってきたこともあって、恬淡としてのんびりとしていい風土、いい国民だなあと素朴に思った。(この国がこういう牧歌的な風土を保っている陰では、そこに住む人々が代々、治水灌漑整備を勤勉かつ緻密に進めてきたという、のんきとは程遠い歴史があるに違いないのだけれど。)

 それで、「僕にも分からないんだよね。」ってなんかいい返答だなあ、と後々思い返していると、これって「ネスキオ」やん、とひらめいた。ネスキオ橋の名はネザーランズの小説家のペンネームから由来しているのだけれど、そのペンネームは、ラテン語で「私は分からない」(動詞”nescīre”の1人称単数形)という意味。「どうしてこんなにクモの糸だらけなのだろう。なんでこんなにうさぎがたくさんいるのだろう。」と思いながら走った先で、ネスキオ橋は答えを用意していたのである。

 クモも、謎に大量発生しているうさぎも、ネスキオ橋も、客観的に見ればそれぞれ何の因果も関係もないのだけれど、私個人のなかではぜんぶが一種の連続性と必然性をもって結ばれて非常にすっきりした瞬間であった。そうしてなんか勝手に一件落着し納得してアムステルダムの観光を続けた。

↓↓ ネスキオ橋の色々な写真は以下からどうぞ ↓↓

https://tate-mono.blogspot.com/2019/01/nesciobrug.html



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