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1899年のヴィクトル・オルタ論を翻訳した

 サンデル・ピエロンというベルギーの芸術批評家のオルタ論を訳して、キンドル自費出版で販売した、ということは前回の記事で述べた通り。
 前回の記事の予告通り、この記事では訳文に付けた「まえがき」を転載する。ピエロンの記事に関して訳者が読者に申し上げたいことはほぼこの「まえがき」に書き込んだので、それを読めば、ピエロンのテキストがどのようなものか把握していただけるかと思う。それでは、以下転載文。

 このたび訳出したのはベルギーの美術評論家サンデル・ピエロンによる記事、「ベルギーにおける建築の発展 ――ヴィクトル・オルタ氏」である。この記事は『装飾芸術評論』誌1899年号に発表されたもので、底本としたテキスト(Sander Pierron, « L’Évolution de l’architecture en Belgique. M. Victor Horta », Revue des Arts Décoratifs, dix-neuvième années, 1899, pp. 273-290)は『インターネット・アーカイヴ』(Internet Archive)の以下のURLにて閲覧可能となっている。
https://archive.org/details/revuedesartsdeco19unio/page/324/mode/2up
 サンデル・ピエロン(1871-1945)は少年期を植字工員として過ごしていたが、ベルギーの小説家にして文筆家のジョルジュ・エークハウト(Georges Eekhoud)に見出されてのち、美術評論家やジャーナリストとして健筆をふるうようになる。アール・ヌーヴォー建築の巨匠、ヴィクトル・オルタの賛美者であるピエロンは1903年にもオルタの建築作品に関する記事を書いている。そうした称賛に応じるように、同年、オルタはピエロンの個人住宅を設計してもいる。本書の表紙写真の住宅がそれである。この住宅はブリュッセルのイクセル地区アクデュック街157番地に現存しており、小品ながらも保護指定文化財となっている。
 ピエロンの記事は大まかに述べるとふたつの要素で構成される。前半部はベルギー特有の風土に根差す建築を樹立しようとした芸術家として、オルタの経歴と功績を評価している。後半部はオルタの実作を取り上げ、その意匠や空間・設備配置の妙を讃える。前半部では、それぞれの土地や民族、国民が持つ固有の文化の重要性を指摘するピエロンの、文化相対主義的見解が垣間見られる点が訳者の印象に残った。各々の国が各々の様式を持つのであれば、独立後まださほど年月を経ていないベルギーという新興国もまた、独自の様式を持っていてもよいはずである。そのようなピエロンの期待が、文化相対主義的視点のなかに位置付けられたオルタに集約されているように思われる。後半部のオルタの建築作品に対する紹介文では、1965年に解体され現存しないベルギー労働者党会館、通称「人民の家」が詳述されている点が意義深い。とりわけ、人民の家開館式でのジャン・ジョレスの演説とそれを迎える労働者たちの熱気を伝える描写は、本記事の白眉のひとつであるといえる。そこに、20世紀後半以来高まりを見せる社会主義運動の高揚の一例を見出すことも可能だろう。
 文化一般についてのやや抽象的で理念的な記述がある一方、オルタの実作に関する具体的な解説もある、バランスの取れた見通しの良いテキストであるというのが、この記事の全体的な評価である。

 拙文をきっかけに、ピエロンによるオルタ論に興味を持ってお読みいただけたら訳者としてはとてもうれしい。

 あと、オルタがピエロンのために設計した家を実際に見に行ってまとめた記事も書いたので、こちらもご覧いただけたら幸いである。


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