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城崎に来て一年経ちました

城崎に来て、丁度1年経ちました。


私自身のやった事の結果に関しては、良いか?悪いか?って部分に関して、自分で評価出来る物では無いので、何とも言えないけど、色々な部分で能力や経験の足りない部分が多いなって感じる事や気づく事も多いです。
一方で、今まで経験してきた部分に関して、自分の中で今まで気づかなかった事も沢山出て参りましたし、改めて商売の難しさや仕事の実績を作る事の難しさ、集客の難しさを理解出来た1年で有りましたし、色々な部分で勉強になった1年でも有りました。

違う視点から飲食業や観光業を見る事が出来た


旅館で有りながら、親会社が保険会社と言う異業種なので、一般の観光業や飲食業とは全く違う価値観や仕事に対する感覚、また、日本最大の財閥グループの末端企業なので、今までとは全く違う視点から、観光業や飲食業を見る事が出来たので、今までに無い新鮮な感覚で物事を見る機会が与えられたて、改めて感じたのは、飲食や観光業の世間からの評価が何故厳しいのかが理解でき、今後変えないと更に厳しくなる部分が多々見えた1年でも有りました。

自分自身がサラリーマン向きである事が理解できた

一方で、今まで気づかなかった事の一つが、自分自身が自分で考える以上にサラリーマンで有る事に気づいた1年でも有りましたし、逆に個人の飲食店や一般の飲食業や観光業に向いていない事に気づいた1年でも有りました。
また、私自身が根っからの関西人で、関西以外で仕事し、生活する事自体が難しい事が改めて理解出来ましたし、ある程度会社組織の整った企業で無ければ使い物成らない部分が、私自身、書類審査の通過率が高い割に、中々就職が決まらなかった理由なんだろうなって一年経ってみて理解出来てきました。
仮に関西以外の土地で就職したとして、東京に行けば、私の関西人気質が悪い意味で通用しなかっただろうとは思いますし、北陸では多分人間関係で苦労したとは思います。
また、日本酒のテイスターやライターとして東京から仕事を頂く経験を10年以上してきましたけど、正直、私の中でずっと違和感が有ったのも事実ですし、多分関西から出たらアカンって信号が、身体の中で出ていたんだろうとは思います。
そのように考えたり、感じたりしたことを一つ一つ精査して見ると、関西で有る城崎だから1年勤まったんだろうとは思います。

武漢肺炎で失職してみて

改めて感じた事が2つあり、1つ目が、失業するという事がどういう意味を持つのか、2つ目が、国として日本が日本人の生活の保障は出来ても、必ずしも安全まで保障できる国では無いという事実に気付きました。

一つ目の失業する事に関して

正直、定年まで前の会社で働こうと考えていましたし、良くも悪くも日本一の有名企業でありましたので、世間的な信用力も高かったのは事実です。ただ、失業してから感じたのは、今まで色々な意味で生活面だけで無く、社会的な信用面で会社に保護されていた事に気付きましたし、失業の際も会社として出来る限りの保障をしていただいたので、短期間で再就職が出来ました。また、就職後も前職の看板は生きる事が解り、非常に感謝の気持ちを持っています。一方で、改めて、仕事に関しては一所懸命、命懸けで大事にしなければいけない事が解りました。

二つ目の日本国の安全保障について

ワクチン接種や失業後の生活保障、武漢肺炎による休業補償を見ていて日本の国の日本人に対する生活保障の厚さに感謝の気持ちを持つことは出来ましたが、今回、日本の国の安全保障能力に関しては、正直疑問を感じる事が多々ありましたし、改めて私たちよりも一世代上の学生運動家の理想主義的な考え方は、現代社会において全く通用しないと感じましたし、多分議論した所で平行線なんだろうって感じました。

武漢肺炎渦で苦しむ飲食業や観光業について

私自身は内側に居て、実際に失業することを経験しました。一方で、時短や休業の状況を見ていて感じた事は、ビジネス的な視点で飲食業や観光業を考えてこなかったツケが一機に噴出した部分もあるなって感じましたし、辞めるにせよ、続けるにせよ、経営者で有れば危機管理能力の有る無しが問われたと思いますし、従業員側であれば、普段から会社に頼りすぎてはいけないことが理解できましたし、実際に自分で失業してみて変に慌てなかったのは、良くも悪くも会社が永遠に続くものでは無いって認識を持って仕事してきたからではあります。また、この1年間で、一番疑問に感じた事が、食や酒を提供する一般飲食店と、風俗系の飲食店に関しては、全く別物であるのに何故区別しないのか?に対して、非常に疑問を感じましたし、一般飲食店に関しても、目先の金欲しさに社会的信用を犠牲にする店舗が普通にあったことに対して疑問を感じたりもしました。最も、そうでもしなければ生活が成り立たない事も事実なので、一概には言えないのも事実ではあります。

最もサラリーマン生活も残り15~20年ではありますが

改めて、新しい職場で働くという事がどれだけエネルギーを必要とするものなのか、また、年齢が年齢だけに厳しいという考え方は最もではありますけど、正直、必死で働けば結果はどうあれ生きていけるものなんだなって理解できた一年ではあります。残りのサラリーマン生活、正直長くはありませんが、日々の仕事を大事に過ごそうと考えています。

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