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「だから大人はハシャグナというのだ」

とにかく大声で話をしない。
はしゃがない。


それはどうしてかって言うと、普段の生きていく暮らしっていうのはね、笑ったり楽しかったりするということは、10のうち1や2しかないから。

不幸の底にある者と幸福の絶頂にある者が隣り合わせて路上に立つことが日常起こるものだ。だから大人はハシャグナというのだ。」(『続・大人の流儀2』)

   伊集院静(小説家)

「日曜日の初耳学」


やっぱり本来の自分のスタイルに戻してもいいのかもなと思い直した。


私は「怖い」とか「ノリが悪い」と思われることが多いと自己分析している。

もしかしたら時代に合わなくなってるかもしれないし、昔は嫌いだったけど、今は「男は度胸 女は愛嬌」ということわざに共感する。

なんだかんだ言っても、やっぱり女性は愛嬌がある方がかわいいと思うし、好かれると思う。

あい‐きょう〔‐ケウ|‐キヤウ〕【愛×嬌/愛▽敬】の解説
《古くは「あいぎょう」》
にこやかで、かわいらしいこと。「―のある娘」「口もとに―がある」
ひょうきんで、憎めない表情・しぐさ。「―たっぷりに話す」
相手を喜ばせるような言葉・振る舞い。―をふりまく
(多く「御愛嬌」の形で)座に興を添えるもの。ちょっとしたサービス。座興。「ご―に一差し舞う」「これもご―。へたな歌でも一曲」

「goo辞書」

「にこやかで、かわいらしい」人になるにはどうしたらいいか?

それは「相手を喜ばせるような言葉や振る舞い」を実践できる人なんだろう。


「怖いって言われることがあるし、もっと周りに合わせた方がいいのかな」と考えて、周りにいる女性たちにあえて感化されて、一緒になってはしゃぐようにしてみた。

すると、「実は人懐っこいんだね」と言ってくれる人もちらほら現れ、手応えを感じるようになった。

それまでの私は、かっこつけすぎなところがあったのかもしれない。

明るい人間になれた気もする。


でも、まだ足りないと感じる人たちもいるようで、「反応薄っ」と言われたので、さらにはしゃぐようにしてみた。

そうすると、周りの女性たちには馴染んできたけど、自分で自分に違和感を持つことことが増えてきた。

なんかみっともない。
周りへの気遣いに欠けてる時があるな。


よく観察してみると、私の周りのはしゃいでる人たちの会話は、人を見下したり、「他人の不幸は蜜の味」のような発言が多いということに気付いた。

「こんな簡単な作業にこんなに時間かかってる」
「こんなことで悩んでバカじゃないの」
「他の人に任せて、もう帰ろう」
「追加の作業を頼まれてる。かわいそうに。自分じゃなくてよかった。」

こういう会話って、陰口としてはとても盛り上がる。

優越感にも浸れる。

はたから見ると、キャッキャッと笑いながらはしゃいでいて、にぎやかで華があるように見える。


でも、これは愛嬌ではない。

愛嬌は「相手を喜ばせるような言葉・振る舞い」であって、大きな声で、下品に、誰かを蔑んで盛り上がることではない。

そんなの、かっこわるいし、美しくない。

みっともない。


私も何気ない発言に傷ついたことがあるのに。

最初は「この人たち、嫌だな」と嫌悪感を持っていたのに。

同類になりたくない。


群れるのが好きな人は、群れから外れた人を放っておくことができない。

私は表面上は適度に群れておいても、芯は孤独でいいと思っていたのに、いつしか群れることの居心地の良さに負けてしまっていた。

やっぱりはしゃぐのはみっともない。

反省しよう。



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