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知的障害者のきょうだい④--当事者との対話--

□“彼”と向き合う。

 この取り組みの中で考えこみ、最も格闘したのは、当事者と向き合うことだった。生徒に答えのない問いを投げかけ、葛藤させるならば、抱いた問いを受け止める当事者と質疑応答し考える機会をどうしても用意したかった。
 5年間にわたって何を切り口にして、この授業をするべきかを探し、「知的障害者のきょうだい」をテーマにすると決めた時から、生徒と対話して欲しい当事者として、“彼”が最もふさわしいと分かっていた。けれども、“彼”にそんなお願いをしていいのか?当事者としての‘彼’に私は向き合えるのか?不安でならなかった。

 “彼”とは同僚の先生である。彼と私はこの授業を行った生徒たちを中学一年生から担当してきた。生徒たちにとって4年間にわたって授業や行事など様々な場面で身近に接してきた先生である。彼に知的障害を持った妹さんがいることを私は出会って間もない頃に聞いた。数年前、彼にこの取り組みについて話し、妹さんについて聞いたことがある。その時、彼は「知的障害者について分かって欲しいと思っていないし、分かるとも思わない」と言った。強烈な拒絶に衝撃を受けた。臆する気持ちも生まれたが、取り組みについてもっと考えるようになった。しかし、それ以降この事について彼と話をしたことは一度もなかった。
   「知的障害者のきょうだい」の掲示板を初めて読んだ時、これを切り口に授業をしようと決めた時、何度も彼の言葉が思い浮かんだ。もう一度、話をしたいと思ったが、出来なかった。知的障害のある弟やいとこを持つ自分に真摯に向き合った生徒たちの作文を読む中で、やはり彼に生徒と対話して欲しいと強く思った。私も「障害者について分かるとも思わない」との彼の言葉に真摯に向き合うべきだ。けれども「教師」としてではなく、“知的障害者の兄”として、生徒に「対話」をお願いすることは、プライバシーに踏み込みすぎではないのか?カミングアウト、内面をさらけ出すことを他人に強いて良いのか?その後の生徒との関係は?何度も考えあぐねた。そして、彼に話をしてみようと決めた。

   いつも冗談ばかり言う私からの「真剣な話があるから、時間をとってほしい」との言葉に驚く彼に、授業について話をし、生徒の作文を読んでもらった。そして“知的障害者の兄”として「対話」してもらえないかとお願いした。複雑・真剣な表情で話を聞いてくれた彼に返事は後日、聞かせて欲しいと言った。                            そして1週間後、彼は「自分に当事者として何を生徒に伝えたいのか、明瞭にはわからない。障害者のことについては意識的にも無意識的にも考えてこなかった様に思う。生徒に話をするのは構わないが、なにか自信がない」と言った。それからいろんな話をした。「小学校の頃、妹が家にいるから友達を自宅に呼べなかった(呼びたくなかった)こと」「結婚の際に、妻に妹の知的障害のについて話をした時、絶句されたこと」「私から対話してほしいと言われていることを、母親に話をした。そして彼の母が生徒の作文を真剣に読んだこと」そんな話を聞かせてくれた。一方で、彼は「あの掲示板に書かれていたような(ドロドロした)感覚は持ったことはない。こんなに真剣、深刻に“知的障害者の兄”として考えたこともない。誰かと“知的障害者の兄”として深く話をしたこともない。だから、自分自身、妹のことについてまだ整理のついていない状態かもしれない」と言っていた。
 覚悟して彼と話をしたものの、意識的にも無意識的にも考えてこなかった事に向き合わせる形となり、非常に複雑な気持ちになった。「授業のためにここまですべきなのか?」わからなかった。いつも和気あいあいと一緒に働いている彼の口から聞いた“知的障害者の兄”としての言葉。今更ながら、彼を当惑させ直面させてしまうことが心苦しかった。それでも彼は最後に「自分自身のためにも、生徒に話をしてみる」と言ってくれた。

被害者遺族・本村 洋との生徒の対話集会の場面

  本村 洋さんとの授業実践が、私の教師としての原点である。妻と娘を18歳の少年に殺害され、憎しみ、悲しみと向き合いながら、生徒たちと生命の尊さとは何か、罪を償うとは何か、生徒の質問に向き合って語って下さった本村さんの姿に心から感動した。「悩んで初めて人生が分かる」。そう感じた。本村さんは、「人生とは偶然を必然に変える過程である」という言葉が好きだと言われた。悩みもがきつつも力強く生きる。そんな姿をもう一度伝えたい。もう一度生徒と味わいたい。それが「社会にある課題を生徒と一緒に葛藤する授業」に私を突き動かした原動力だった。

 葛藤しながらも、“知的障害者の兄”として対話すると言ってくれた“彼”。「悩んで初めて人生が分かる」。本村 洋さんから感じた力強さを感じ、心から感謝した。

□“知的障害者の兄”と生徒の対話集会

 2時限にわたる授業を踏まえた対話集会は高1生270人全員が参加して小講堂で行った。授業調整も難しく40分という限られた時間となった。生徒の「当事者の方に聞いてみたい質問」を整理して、事前に数名の生徒に質問者を依頼する形で対話集会を行うことにした。また彼にはその質問事項を渡しておいた。      
 当事者との対話集会は告げていたものの、その当事者が誰なのかは、当日まで生徒には敢えて言わなかった。司会の私から進行方法を説明した後で、私は生徒に「きょうだいがいる人は?」「自分の友人や知人で、きょうだいに知的障害を持つ人がいる人は?」と質問し挙手させた。挙手させたのは、こんな風に手を挙げて欲しいと伝えるためでもあった。そんな導入をした上で、私は「では、○○先生お願いします」と言った。ざわめきがやってきて、一瞬で沈黙がやってきた。    
 やや緊張の面持ちで演壇に立った彼に、まずは私から家族構成や、知的障害を持つ妹さんの年齢やどのような障害かを質問した。その後、生徒から例えば、こんな質問が投げかけられた。
 「僕は知的障害者の人に対して怖さがあります。会話がしたくても通じないからです。障害のある方とコミュニケーションは、どうしたらいいのでしょうか?」
 彼は「妹とは普通の会話はできません。けれど、君たちが外国人と話すとき、英語が話せなくても本当に会話がしたいと思ったら、相手も自分も何を伝えたいのか分かろうとするよね。それと似たように、妹が何をしたいのか知ろうとしているだけです」と答えた。
 この対話集会がどのようなものだったのか、どう表現すべきか難しい。実はアタリマエのことを真剣に伝えたものだったと思える。身近な彼からのカミングアウトに驚く生徒、また幾分緊張した彼や気負いすぎた私がいたことを除いては、集会で話されたことは、実はアタリマエの事柄だった。それは妹とどのようにコミュニケーションしているのか?との質問に対する彼の答えにも表れているように思える。
 他の生徒からは、「他人に妹のことを話すのはどんな気持ちでしたか?」「普段の生活の中で知的障害者を見たときに、どのように思いますか?また、もしその知的障害者の方が、バスや電車で他人に迷惑をかけている時はどうしますか?」といった質問があった。
 彼は「あまり他人に妹のことを話ししたことがなかった。妹が家にいるから、友達を自宅に呼びたくなかった」「普段の生活の中で知的障害者を見ても、あまり何も思いません。迷惑をかけていたら止めるべきだとは思うけれど」と、考えればアタリマエだなっと思える回答だった。
 振り返ると、何か‘衝撃’のようなものを期待していた自分を反省する。静かに予定していた質問が進んだ。そんな中で、集会の空気が少し変わったのは、次の質問だった。

 「結婚相手の方の反応はどのようなものでしたか?また、相手のご両親には話はされたのですか?」
 「妻に妹のことを話したのは、実は妻の家に結婚のあいさつに行った時のことでした。付き合っている間、そのことを言っていませんでした。妹のことを知った妻は絶句しました。結婚寸前までそのことを言わなかったことで、彼女を傷つけたとすれば、悪かったと思っています」と彼は答えた。
 なにかモヤモヤした空気の中で、「すいませんが、私から質問させてください。なぜ悪かったと感じるのですか?」と、私から尋ねた。たたみ掛けるように「言わなかったのは、そんなこと関係なしに奥さんのことを愛してたってことですか?」と、新婚ホヤホヤの彼をからかうことで静まった空気に笑いを誘ってみせた。
 笑いながら彼は「悪かったなと思うのは、その後‘なぜか怖い’と奥さんに言われ泣かれたからです。で、奥さんを愛してます」と答えた。
 結婚や就職などでこそ、語られず考えられずにいた事柄が表面化する。その後、何かが破れたように何人もの生徒から手が上がり、予定していない質問もあがった。最後の生徒の質問は「きょうだいの夢は何ですか?」。先生の妹さんへの思いを知り、あっという間に40分の対話集会は終わった。最後に私から「何らかの障害を持つ人は私たちの社会に5%はいるとされている。実は身近な問題であるにもかかわらず、障害者について考える機会は実に少ない。きょうだい、家族がそのことに向き合い、語る重みは想像もできない。妹さんのことを話してくれた○○先生に本当に感謝したい」と締めくくった。

○○先生と2人でインド旅行した時の写真

□取り組みの後のカミングアウトに驚いた。

 対話集会もやり終えた。格闘してきた取り組みは終わった。達成感もあった。けれども、これが何だったのか?うまく言葉にできない状態が続いた。そんな中で、私は以前からやってみたいと考えていたことを始めた。それは知的障害者と接することである。5年間、取り組みの切り口を探す中で、知的障害者の方と話し、かかわることは何度かあった。けれども、体験や関係性を作ろうとはしなかった。それは、私の日常生活では通勤電車などで見かけることはあっても、それ以上の関係にはならない。多くの生徒が同じような状況だと思えた。だから、私が知的障害者と関係性をもって考えてしまうと、何か‘上からの体験’で考えさせてしまう事になるのではないかと思っていた。どう接すれば良いのか、わからないという気持ちもあったと思う。授業を終えた今、知的障害者と接してみたいと思った。
 私は障害者に水泳指導を行うNPOボランティアに登録した。スポーツは苦手な私だが、市民プールで知的障害を持った人と一緒に泳ぐボランティアを何回か行った。何だか申し訳ない気持ちを隠せないが、仕事を早く切り上げて平日の夕方に自費でプールへ毎週通うことが負担になり、数ヶ月でやめてしまった。何度か知的障害者と泳いだ体験から言えば、彼が対話集会で行ったアタリマエのことが、接してみるとアタリマエにわかった。言葉は通じない、手足がうまく動かせない。だけど実は特別なことはなくて、分かって接しているから、一緒に水泳に挑戦しただけのことだった。関係性を作るには至らないままに終わってしまったことを心残りに思いながら、「あの授業は何だったのか?」と考えていた。授業から半年がすぎた頃、驚く出来事があった。

 ある保護者から話がしたいと言われた。伺うと「普段はあまり話をしない息子から授業のことを聞き、授業冊子を読んだと言う。そして「息子の弟は知的障害を持っているんです」と言われた。この生徒は、「いい兄バカになってほしい」と書いた生徒ではない。
 お母さんは「知的障害者のいないこの学校で、このような授業を行ったこと、そして最後に知的障害者の兄として、○○先生が生徒に話をしたと聞いて、驚き嬉しかった。そのことを伝えたかった。そのことを話がしたいと思った」と言われた。突然、このような声を聞き、驚くと同時に本当にうれしかった。お母さん曰く、息子はあの授業冊子をクリアファイルに入れて大切にしていたという。涙が出るほどうれしかった。と同時に、彼は弟が知的障害を持つことを授業では言わなかった。それぞれが抱く違和感や偏見と率直に向き合うこの取り組みは、当事者の方を不安にさせ、傷つけかねない事柄も含んでいる。その事の重みを改めてかみしめた。

 障害者団体を訪れて、この授業を相談した際に「考える力をつけるために、わざわざ障害者を題材にするのですか?」と聞かれた。当事者ではない私が、障害者を扱う事の危うさを指摘された。その方は、中学生の時に体育館の屋上から滑り落ちて、下半身付随になった自身の人生を語られた。そして、「もし障害が治る薬があっても、自分は飲まない」と言われた。その当事者としての力強さには強く惹かれた。それでも私は「当事者ではない立場から考え、伝えられる‘何か’があると思う」と答えた。
 その‘何か’がうまく言葉にできずにいた。‘何か’とは、「他者との対話の大切さ」だと考えている。かつて仏の哲学者シモーヌ・ヴェイユは時代の病理を「善に関する言葉の堕落」と喝破した。現代社会には、人権や平等などの「善に関する言葉」を冷笑的にとらえ、口にすることを躊躇する雰囲気があるのではないだろうか。ある生徒は夏休みの課題で次のように書いた。「正直、最初は軽い気持ちで読み始めました。どうせ[障害を持つ弟でも好きです]とか、[彼の兄弟が何で何であろうと私は結婚します]なんて書いてあるんだろう、と思ってました。読んで衝撃を受けました。かなりの人が深く悩み、苦しみ、そしてまだ答えを得ることができていなかったのです」
 この[どうせ差別してはならない、人は平等であるって言いたいんだろう]と、「善に関する言葉」を冷笑的にとらえてしまう現代社会。その背後には生きていることのリアリティーや他者との対話の欠落があるのではないだろうか。
 情報化社会の中で不条理な出来事が日々、伝えられる。しかし私たちはその瞬間には怒りや悲しみの感情を持ったとしても「立ち止まって考えること」はせず、繰り返される不条理な出来事を‘刺激の強弱’を物差しにして、情報を処理しているのではないだろうか。情報の多さに感情を浮かび上がらせることができず、他者の痛みや悩み、苦しみへの感受性が失われている。そして、人々は自分の世界に引きこもり、他者を思いやる「善に関する言葉」を冷笑的にとらえてしまうのではないだろうか。様々な社会問題を扱う政治経済を教えてきた実感である。
 だからこそ、「他者との対話」が大切だと考えている。違和感や偏見を抱く自己と向き合う「内なる対話」、そして他者の苦悩と向き合う「外なる対話」。自己と他者の打ち合いの中で、とことん考える。苦悩や葛藤、ためらい、熟慮、決断といった他者と自己と向き合った格闘の中で、社会の一員であるとの実感、生の手応えを感じる。この「他者との対話」による実感や手応えが、冷笑主義や無関心を打ち破り、「社会をより良いものにしていくにはどうしたら良いか」という社会科の目標の力になるのではないだろうか。その為には、教師自身が「社会にある課題を生徒と一緒に葛藤する」ことが必要である。私はそう考えている。

 この取組みの中で、たくさんの方と出会い、学ばせて頂いた。きょうだいが現実と向き合い、考える重みは計り知れない。話してくれた彼・彼女に心から感謝している。

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