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教育の実習?教育を実習?

こんにちは。ハルです🍃

6月に母校の中学校で保健体育の教育実習を終えました。

残ったままの疑問や違和感もあるので答えはない、振り返り日記です。
うまくは書けないけれど、だれかのいつかのためになればいいなと思って書いてみます。

名前ってその人を象徴する言葉

1週目は授業見学がメインの週。
生徒の名前をひたすら覚えた。

1日目。15人覚えることを目標に24人覚えれた。
2日目。25人覚えられるかな?と思ったら34人覚えれた。

ふと、「同じ名前やからっていう覚え方しないで」とインターンしていた塾で言われたことを思い出した。

「〇〇ちゃんは△△な人」ではなく「△△な人の名前は〇〇ちゃん」なんだ、と。

教室の机順に名前を並べる覚え方をしていたけど、それって「その子の席がたまたまそこだったこと」くらいしか分からない。席を離れると誰かわからなくなる可能性がある。

それからは、どんな子かなぁという視点で過ごした。発言や素振り、目線などから特徴をメモした。

どこでも、だれにでも、元気に

挨拶ってコミュニケーションのきっかけになる。
朝と帰りの挨拶が楽しかった。
逆にその時間が一番生徒たちと話せる時間だった。
こんなにも人を傷つけないコミュニケーションってあるのだろうか。
授業中は基本的に雑談はなくて、休み時間は私が準備に追われる。
情報が飛び交うSNSやネットが発展する現代に、毎日顔を合わせることって価値だなぁと思ったり。

先生ってあだ名?!

実習中は「先生」と呼ばれる。
最初は慣れなかったけど、だんだんあだ名みたいになってくる。

「せんせーおはよう」「せんせー聞いてー」と生徒たち。
私も自分のこともせんせーと言う。
先生というよりせんせーって感じで。

先生って「先に生まれた人」で「先を生きている人」だ。
教師と先生はちょっと違うのかもしれない。

みんなって誰だ?

「みんな」という言葉を使わないように心がけるつもりでいた。
指示したそのみんなの中からこぼれ落ちる人はどうなるんだ?と思っていたから。

でも、何気なく無意識に言っちゃってる自分に気づく。

君たち。あんたら。おまえら。あなたたち。
いろんな呼び方があるよね。
集団を主語にする時、あなたはなんて呼んでいますか?

バレー実習な1週目

体育の担当単元はバレーで、休み時間もクラスの女子とバレーをした。そして部活でもバレー。
「あれ、教育実習じゃなくてバレー実習だったっけ?笑」ってなった。

部活の練習後、生徒と雑談しているところを撮られた。(恥)

授業のバレーは生涯スポーツとして。
部活のバレーは競技スポーツとして。
休み時間のバレーは気分転換として。友達とのコミュニケーションも取れる。
同じバレーボールを通して、「たのしさ」の違いがあることを学んだ。

自由と安全

「あれ、学校ってこんなに指示多かったっけ、?」

初日に感じたこと。
すごく管理されているな、と感じてしまった。

でも、体育の授業で「ルールづくり」による管理の必要性を知った。

体育では、ケガをしないような安全性の確保は最低限しないといけないことで、そのためにルールという制限をつくり、コントロールをする。

管理と余白

1つの内容をするのに、それの目的・ポイント・やり方を説明する。
ルールややり方など生徒の動きの流れも私が決めた。

ある時、いつも楽しそうにする生徒が楽しくなさそうな表情をしている。
ルールややり方を決めすぎた。枠を作りすぎた。そこには余白がなかった。

その失敗をふまえて、次の授業では「ルールの枠を緩めて」「ここは自分たちで決めてね」と任せてみた。
すると楽しそうだった。

「どこまで枠をつくるか」「どれだけ余白をつくるか」のバランスがむずかしかった。

集団を動かす難しさ

集団を動かすには、キチッと決め管理することが近道なのかもしれない。
でも、それは同時に自己決定の機会を奪うことでもある。

全体を動かすための平等な指導。
できる子とできない子、やりたい子とやりたくない子。
いろんな生徒がいる集団への平等な指導は違和感があった。
一人ひとり違った部分を観察するとサポートすることも変わってくる。
全体での説明では何を伝えるか。何を個別指導するか。

あと、クラスやチームごとの雰囲気によって技術や態度に影響してプレーが変わるのを肌で感じた。
体育指導の難しくもおもしろいのは、ルールづくり雰囲気づくりだと私は思う。

私が惹かれた教科は美術

「しっかりと」「きっちりと」「ちゃんと」

学校ではこの言葉たちをよく耳にした。
「グループで一番”しっかり”してそうな人が〇〇してね」「提出は〇〇までだよ。"きっちり"守ってね」「"ちゃんと"聞いてやー」など。

そんな中、美術の授業見学をさせてもらった。

なんだこの居心地の良さは、、?

理由は多分、
・答えがない
・好きな道具を使っていい
・それぞれのオリジナルを形にする
・作品に囲まれている教室
・「どれもいいねー」という先生の声掛け
・まちがってもいいという逃げ道がある
・個々のペースで進めていい
・「きっちり」「しっかり」という言葉が使われていない

だと思う。

教材研究って結局何するの?

大学の教授から「めあてが矛盾している」とフィードバックをもらった。
研究授業で設定したバレーボールの授業のめあては「ラリーを続けて積極的に三段攻撃をしよう」だ。
このめあてを設定した理由は、次年度との接続をふまえたから。
1~3年生のバレーの授業を見させてもらって、できることのレベルや雰囲気の違いがあることを知った。
担当は2年生の最終授業ということもあり、来年に繋がるように「三段攻撃」に挑戦してみようということで設定した。

ただ、前者はボールを落とさないことにフォーカスしているしているけど、後者はラリーを切るということ。ちがうことをやっている。と。

、、ほう。

そんなことまったく考えてなかった。"できる"を分解してそれまでのスモールステップを準備をするものだと思っていた。こういった、そもそも違うみたいな失敗はどうすればよかったんだろう?未だに分からない。

学校って愛で溢れている場だ

先生ってすごい。観察力が。
ひとりひとりの生徒をすごく見ている。
細かくたくさん目を配っている。

そして、生徒の「揺れ」に丁寧に向き合っている。
その行動の裏にはすごく「生徒のため」という想いが詰まってるなぁと感じた。「せめてこうしてやりたい」「こうなってほしい」と。

そんな愛の詰まった一人の先生たちで構成されているた学校は、愛が溢れている場だ。

世界の部品の素材になれたような気がした

やっとスタートラインに立った感じがする。
まだまだひよっこだけど、教師という職を経験させてもらって、他の学校はどうなんだろう?他の先生の授業はどうなんだろう?と学校や授業見学をしたくなった。
そしてなにより学校って魅力的な場だなと思った。

でも、私はいまは教師にならないことにした。

- パズルのように授業を埋めず、余白を楽しめる場
- 先生という仮面を被らず、ありのままの自分でいられる場
- 教育現場に風を吹かせて、私はその外からの風になりたい

そんな場をつくりたい。
教員という枠の中で、自分次第でそういう場を作れるのかもしれないけど、
その手段が教師かもしれないし、それだけじゃないかもしれない。

たかが3週間、されど3週間。
わたしの人生の中でとっても必要で充実した教育実習でした。

最後まで読んでくれてありがとうございました。


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