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経営を、「らしく、あたらしく」。(総論編)

自社の経営計画に「らしさ」を掲げる企業があります。

企業経営において「らしさOriginality」を意識することは、いつも大切なことだと思いますが、
これからの時代、「らしさOriginality」を意識する企業は、ますます増えていくのではないかと思っています。

ここでは、「らしさ」というものを背骨にして、経営を考えてみます。

1-1. 成熟社会と「らしさ」

企業は、いくつかの「市場」に対峙しています。

図1

・製品やサービスを売る先である「製品/サービス市場」
・働く人を"調達"する「人材市場」
・資金を"調達"する「調達市場」(株式市場などの市場として確立されているものに限らず、広く資金調達をする"市場"を意味します)

企業活動は、人と資金を調達して、モノを売る活動であると言えます。

これら3つの市場への対峙する活動が整合していることが、「いい企業活動」の1つの要素です。


最近の企業活動を観察してみると、これら3つの市場に対する活動が、それぞれ多様になってきていることが見えてきます。

たとえば...
顧客の志向が多様になることに対応して様々な製品やサービスが生まれ、その売り方も多様になってきています。
人材採用の手法や雇用の形も、様々なものが開発され、取り入れられています。
資金調達も、日本では伝統的には銀行借入が中心でしたが、調達方法は多様になっていますし、株式の発行においても様々な種類のものが開発されています。(「株式の種類」とは、「株主との関係性の種類」です。)

このような現象は、それぞれの市場が関係者の努力によって進化してきていることを示しているわけですが、大きく捉えると「世の中が『成熟』している」ことも大きく影響していると考えます。


先ほど企業は3つの市場に対峙していると言いましたが、それぞれの市場で活動しているのは、人か企業のどちらかです。そして、企業と言っても、結局は人の集団です。

ですので、企業は3つの市場に対峙していて、その3つの市場は市民社会のなかにある、と整理できます。

図2

日本の社会について語るとき、「成熟」というキーワードが登場することがあります。

「成熟」とは、なんでしょう。

事典にあたってみると、物理学者で未来学者のデニス・ガボールの言葉が紹介されていました。

<成熟社会>
量的拡大のみを追求する経済成長が終息に向かう中で、精神的豊かさや生活の質の向上を重視する、平和で自由な社会。
知能偏重から知能と倫理の調和へ、善意と幸福を周囲に広げる人間の形成、強制と支配ではなく自由と責任と連帯の拡充、多様な個性と価値観を尊重し許容する寛容な民主的社会の実現などが主張されている。(日本大百科全書より抜粋)

ひとりひとりの生き方において「多様な個性と価値観が尊重され許容される社会」になると、それは、3つの市場をフィルタとして通過することをつうじて、企業の"生き方"においても「多様な個性と価値観が尊重される」ようになるはずです。上記に示したような、3つの市場での様々な開発が多様な個性と価値観に沿って行動することを可能にし、それら開発されたものが自らの個性や価値観に自覚的になるべく企業に迫っているのです。

踏み込んだ言い方をするならば、「個性と価値観を自覚することなしには、企業も生きていけない」時代とも言えます。


1-2. 「らしさ」と「あたらしさ」の緊張関係

ところが企業経営に関しては、「会社は(みんな!)売上や利益を増やすべきだ」「こういうふうにすれば(みんな!)うまくいく」というような主張が世の中に溢れています。
「これが(みんなに当てはまる!)企業経営のトレンドだ」「このトレンドに乗り遅れるな!」という情報ばかりが目に入り、まるで誰かが旗を振り(あらゆる!!)企業を率いているようです。

「こっちのほうが『あたらしい』ぞ!」と。

もちろん、世の中は凄まじいスピードで変化していますし、概念や手法は進化を止めませんので、あたらしい情報や考え方を取り入れることは必要なことです。

ただそれが、企業が地に着いた足や確固たる背骨を失う道なのだとしたら、ほんとにその道は、歩むべき道なのでしょうか。


一方で、「らしさ」に固執していては、現状肯定に陥り、世の中から取り残されてしまうかもしれません。


「らしさ」と「あたらしさ」の間には、ヒヤヒヤするような緊張関係があり、それを克服して前に進むことが大切だと思っています。

oririのウェブサイトに、短い文章を書いています。

会社を取り巻く環境は、刻々と変化する。
社会と経済… 新しい技術やビジネスモデルの登場… 地理的な土俵の拡大… 想定外の競合の参入…。

それらは、チャンスなのか… 脅威なのか…。
自社を進化させなければ、この荒波を乗り切れないかもしれない。

その”進化”とは、「我々」が「我々」を失う過程なのだろうか。
他社事例… ベスト・プラクティス… グローバル・スタンダード…
「我々」が「らしさ」を捨て、無色透明な存在へと「進化」する誘惑は、
会社のソトに・ナカに、溢れている。

そこに、「我々」の未来は、あるだろうか。

「らしさ」と「あたらしさ」は、しばしば対立する。

そのリアルに直面するのは、
「我々」の進化に、危機感と希望を抱くリーダーだけである。

「らしく、あたらしい」会社の未来を見据えるリーダーは、孤独である。


2-1. 外部環境との調和

企業経営を考えるとき、乱暴に大きく2つの視点/流派に分けるとすると、会社を取り巻く環境との関係に目を向けるものと、
社内の経営資源に目を向けるものがあります。


会社を取り巻く環境とは、社会のこと、業界のこと、お客さんのこと、同業にあたるような他の会社のことなどを指します。他の会社のことを「競合企業」と呼ぶことも多いですが、実際には、「別に、あの会社と競争しているつもりはない」というようなことも多いかもしれません。

企業は、そういった環境にうまく対処をして活動していくことが求められます。生き物が自分の棲む環境に適応して生き抜いていくのと同じようなことです。

ここでいう企業の活動とは、どういうふうな業界に身を置くか、そのなかでどういうふうに顧客をつくっていくか、日々どのような施策に取り組むか、というようなことの組み合わせになります。

つまり、この視点でみたときの企業活動における創造性とは、外部環境と自社の行動の間の調和を創造することと言えます。

図3


2-2. 経営資源の充実

もう1つの視点/流派は、社内の経営資源に目を向けます。

経営資源とは、いわゆるヒト・モノ・カネと言われるようなもののことです。どのような経営資源を、どれくらい、どのように配置するのか、ということは経営において、とても重要なことです。ケイパビリティという言葉を使うこともありますが、それは、企業の「やる力」というような意味です。

ある企業が「何をするか」ということは重要な視点ですが、それだけではなく、その会社が「やる力」を備えていることも同じくらい重要な視点です。

2つの視点/流派という言い方をしましたが、この2つは1つの経営判断の表と裏のようなもので、整合した形で意思決定されるべきものだと考えます。

図4


2-3. 企業の核となる「らしさ」

経営について語るとき「差別化」という言葉を使うことがあります。「他の会社とは違っている」ということです。

ここまでの議論を踏まえると、経営において意識するべきことは、
・企業の行動が外部の環境と(創造的に)調和していること
・その行動が、ケイパビリティ(「やる力」)と整合していること
・そして、それらが「他の会社と違っている」こと

というふうに言えると思います。

この3つに1本の筋を通すのが「らしさ」であると考えてみようと思うのです。

図5

ここで言う「らしさ」とは、
なぜ生まれた会社なのか
何をしている会社なのか(同じ商品を売っている会社でも、よくよく考えると「何をしているか」は違っているものです)
・何を成功や発展のモノサシとするのか
・何を善い・美しいとするのか
というようなことに対する事実・スタンス・センスのことです。

このような「らしさ」を起点にして、ケイパビリティや行動を検討・意思決定していくのです。

どうやら分析的な考え方をすると往々にして、このドーナツ図の外側から順番に考えを進めてしまうようです。結果、真ん中の「『らしさ』の源流」に対する意識は薄まり、「我々」は「我々」を失いかねない危機に陥ります。

図6

「らしさ」は、それぞれの議論に滲み出てきます。

同じ業界にいる会社でも、慎重に合意形成をしながらモノゴトを進めることを善しとする会社もあれば、責任者の明確化とスピード感をもってモノゴトを進めることを善しとする会社もあるでしょう。

ある会社の様々な行動が、外形的には全くちがっているのに、なんだか「あの会社っぽい」という現象にも、ときどき出会うかと思います。


そして、興味深いことに、「らしさ」は、外部環境を見るときの「見方」にも滲み出てくるものです。同じ景色を観察しても、ビビっと印象に残る現象は会社によって違うはずですし、同じ現象を捉えても、それに対する意味付けは会社によって違うはずです。

思い切った言い方をするとすれば、「完全に(主語の無い)客観的な観察」というのはなくて、あるのは「主観的な客観性」があるのみです。

そうだとすると、「観察する」という行為そのものを観察することを通じて、「らしさ」を自覚する必要もあるかと思います。


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今回は、「経営を、『らしく、あたらしく』。」について、
その意義と構造について考えてみました。

引き続き、そのアプローチや手法について、考えていきたいと思います。


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