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BON JOVI個人的10選Ⅰ

1996年3月、いつも通りぼんやりテレビを見ていたら深夜くらいだったと思いますがあるバンドの来日公演を知らせるCMが流れて来ました。当時僕はようやくビートルズやイーグルス、クイーンなどの洋楽を聞き始めたばかりで、そのCMから流れて来る洋楽アーティストについてはまだ知らなかったのですが、それまでのクラシックロック(あえてこう呼ばせてもらいます)からは感じられなかったモダンな(死語?)音が思春期17歳の感性に響きまくって、その後何回かそのCM見てそれが「ボン・ジョヴィ」というアメリカのハードロックバンドだってことを理解しました。そして居ても立っても居られなくなった僕は早速TSUTAYAに行ってボン・ジョヴィのベストアルバム「クロスロード」を借りて来て一曲目にいきなりあのCMで鳴り響いて心を鷲掴みにされた「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」がかかりそれからもう一年以上はボン・ジョヴィ及びハードロックばかり聴いていました。語弊があるかもしれませんが人生で一番衝撃を受けた曲と言っても過言では無いかもです。17歳の一番ある意味勢いのある時に一番かっこいいと思えた音楽がこのボン・ジョヴィだったのでまさに青春の音楽って感じですね、僕にとって。その後人生行き詰ったりしてきたからイギリスのオアシスやレディオヘッドとか90年代のロックとか好んで聞いたりしましたが、まだ夢も希望もあった時代に人生のサウンドトラックだったのはポジティブなエネルギー満載のボン・ジョヴィでした。まあ前振りが長くなりましたが、そんなボン・ジョヴィの曲を2回に分けて20曲紹介していきたいと思います。まずは1980年代の全盛期のボン・ジョヴィの曲からどうぞ。

Runaway (1984年)
ボン・ジョヴィのデビュー曲でデビューアルバムにも収録された初期の人気曲です。最初のキーボードのイントロからカッコイイですね。まあサビが少し物足りないところはありますが、つかみはOKみたいな感じです。アメリカでもそこそこヒットしてアルバムもミリオンセラーを記録するなど成功を収めました。アメリカよりも日本での人気が高くて、彼らと日本のファンとの間に強い絆が生まれていくきっかけともなった曲、アルバムです。僕も結構このデビューアルバムのいかにも80年代のハードロックっていう空気感が好きでよく聞いたりしていました。個人的にどうしようもないノスタルジーを感じてしまいます、あの時代に。余談ですが、このMVは本人たちは全く気に入ってはなかったみたいです。


She Don't Know Me (1984年)
デビューアルバムに収録された隠れた名曲でファンの間でも人気があったらしいのですが、後のベスト盤やライブではほとんど演奏されなかったり、収録されていなかったりするので、今や知る人ぞ知る曲になってしまいました。その理由はこれが彼らのオリジナルではなく外部のソングライターが作った曲だから、ということらしいです。まあハードロックでやっていこうとしている本人たちの意向を無視してレコード会社が勝手に決めて収録したとか、いろいろ言われたりしています。でも個人的にこの80年代独特の空気感を放つこの曲はツボで一回でいいからリマスタリングしてベスト盤に入れてほしいとか思ったりしています。そのベスト盤が出たら速攻で買いに行きます。ちなみにこのPVも本人たちは気に入っていなかったらしいです。


Tokyo Road (1985年)
デビューしたての新人バンドを本国アメリカ以上に熱狂的に応援してくれた日本のファンに向けて作られた曲で、彼らの日本への熱い想いが伝わってきますね。セカンドアルバムはやや低調な感じのアルバムでしたがその中でも一番いい曲がこの曲だったってことは本当に気持ちがこもっているんだな、って今振り返ると思ったりします。後の大ヒットしたベスト盤「クロスロード」にも日本限定でこの曲入ったりしていますし。本当にいい人たちなんだなって思ったりします。うわあ、ボンジョヴィ全盛期のライブバージョンのがあって興奮して入れております笑。


You Give Love A Bad Name (1986年)
邦題が「禁じられた愛」でボン・ジョヴィ初のビルボード1位となったシングル曲です。鬼奴さんがネタで歌ったりしていた曲でしたね。もう古いか。この曲が収録されたアルバム「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」は全米だけで1400万枚、全世界で1800万枚売れた80年代を代表するモンスターアルバムになりました。ここからヘヴィメタルとかがメインストリームになってめちゃくちゃブームになったりして、僕はまだ小学生とかだったのでほとんど知らない世代ですが、あの時代の熱気とか映像で見ると羨ましいなあ、とか思ったりします。


Livin' On A Prayer (1986年)
未だに人生で5本の指に入るくらい大好きな曲です。冒頭でも書きましたがこの曲に出会わなかったらこんなにも洋楽とか聞いただろうかってくらい、あの17歳の感性はこの曲とボンジョヴィにすべて持っていかれていました。それまで大好きだったB’zやミスチル、ビートルズも遥か後方に吹っ飛ぶくらいに。あの衝撃は人生史上最高レベルでしたね。もう最高ってくらいに、理想の音楽がボンジョヴィから溢れていましたから。青春の魂のすべてがこの当時ボンジョヴィに共鳴していて、その中心にいつもこの曲がありました。1年間ずっと毎日欠かさず聴いていたんじゃないでしょうか。ビルボードで4週連続1位にもなりましたし、今聴いても今見ても最高なんじゃないでしょうか。歴史的な一曲だと思います。


Never Say Goodbye (1986年)
アルバムの最後から2曲目に収録されたバラードで数あるボン・ジョヴィの名バラードでも一番好きな曲です。夏の終わりにビーチとかで聴くとさらに雰囲気が盛り上がるんじゃないでしょうか。そんな経験はないですが。でも一回はプールサイドやビーチで流れているのを聞いてみたいな、って思ったりします。


Wild In The Streets (1986年)
ベスト盤とかにはあまり収録されないこれも隠れた名曲です。大ヒットした同名アルバムのラストを飾る一曲で、前曲のバラードでしっとりした感性を最後ブラッシュアップさせる気持ちのいい流れでこの名盤は終わっていて、そりゃめちゃくちゃ売れるわなって納得の一曲、アルバムだったりします。当時の彼らの天下無敵の勢いと若さを感じさせて大好きな曲ですね。


Bad Medicine (1988年)
全世界1800万枚も売り上げたモンスターアルバムから2年そのプレッシャーをはねのける勢いで出したのがこの曲も収録されたアルバム「ニュージャージー」。これも1000万枚近く売れて大ヒットしました。さらに洗練されてハードロックの中心にボン・ジョヴィありを知らしめたアルバムでしたね。まあ当時からメロディに偏り過ぎた売れ線バンドってことでマニアからあまり好意的には見られていなかったらしいですが、この屈託のない生命力にあふれた音楽はハードロックマニア以外の一般的なファンに浸透していったからこれだけの世界的なバンドになっていったのだと思います。器がハードロック・ヘヴィメタルには収まりきらなかったと言った方が正しいのかもしれないです。当時の熱狂ぶりが伝わって来るこのPVもいいですね。


Born To Be My Baby (1988年)
リヴィン・オン・ア・プレイヤーと並んでボンジョヴィの中では大好きな曲です。「クロスロード」とかにも入れてほしかったなあ。それくらい華のある名曲で、洋楽とか聞かない友達も「いい曲やな、これ誰の曲なん?」とか聞いて来たりしていました。ホント、80年代は彼らの全盛期で何回か書いているかもしれませんが、あの時代にタイムスリップしてボンジョヴィ追っかけたいですね。それくらい勢い、スター性、音楽性、何もかも凄かったと思います。


I'll Be There For You (1988年)
彼らの4曲目のビルボード1位になったバラードナンバーです。ジョンボンジョヴィとリッチーサンボラの共作曲で、外部のソングライター、デズモンドチャイルドの力を借りずに1位取ったことがかなりジョンやリッチーは嬉しかったそうです。途中のジョンの何オクターブ出ているねんってくらい凄まじいボーカルも聞きどころで、渋い一曲となっています。ホント、ボン・ジョヴィはバラードも名曲多いですね。


とまあ80年代の全盛期の曲から丁度10曲選べてよかったです。80年代のハードロックは何回かこのnoteで書いたりしてきましたが、やっぱり本家本元のボン・ジョヴィが一番好きな曲が多いですね。ガンズとかいいけどあのアルバムだけやし、他もボン・ジョヴィほど10曲選べってなかなか難しいし。やっぱり彼らがあの時代の中心にいたのではないでしょうか。でも時代は90年代に入るともうハードロックは一気に廃れてしまい、我々は音楽業界の移り変わりの激しさを目の当たりにしていくのでした。でも一瞬だけど鮮明に記憶に残る時代としてあの80年代ハードロックの熱狂は永遠に残ると思います。ではまた「Ⅱ」とかで会いましょう。


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