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自立支援施設パート2 恩師。



たつGには多くの恩師が存在する。。
今日はそのお一人、
根本敏郎先生の話しをします。

出会ったのは14才、彼は自立支援施設の教員でした。

確か東北福祉大学出身で、当時2才お嬢さんと奥様の3人家族。

先生は28才前後だったと記憶している。

夜のホームルームでの話しは、とにかく楽しかった。

なんと!中学生だった僕らに酒の嗜み方や恋愛、お金についてなど、、
社会に出たら即役立つ話をたくさんしてくれた。。

きっと早くに社会人となる僕らへのアドバイスだったのでしょう。

とにかく真剣に伝えてくれた。。

優しい兄貴的存在でした。。。

毎日の日課で欠かさず書く日記。

その日記に夜勤の先生が赤いペンでコメントを書き添えて下さる。。

なんだか交換日記の様で楽しみでした。😄

根本先生の担当の日、何故か将来に対して悲観的な文章を書いたタツG少年。


それに対して先生が赤いペンで書いたコメントは今でも覚えてる。

『甘える人がいる事は幸せな事であり、最も不幸な事にもなりうる』

その当時は意味がわからなかったが、
20才頃、実家に帰省した際、懐かしく開いた日記を読み返すと、、、

根本先生の教えが痛いほど胸に刺さった記憶がある。。

17才で上京し、美容師見習いに、、
まだまだ子供だったタツG少年は沢山の方にお世話になり、20才の頃にはちょっとだけ大人になってた。。

早くから働く事で社会の厳しさも少しずつ学んだのかな、、

『引き篭もり』と言うのは未だ理解できない。。

たつGが引き篭ったらミイラになるだけ。。
もしかしたら引き篭もれるだけ幸せなのかも、、、

たつGは稼がないと死んでしまう。😄

17歳、所持金1万円。。

不安と期待を胸に上京した。

『家を出よう、、』そう決断できたのは自立支援施設で予備練習してたおかげ、、

あのまま家にいたら、、甘え癖がある自分はどうなってたのか??
恐らくこんな刺激的な人生では無かったと思う。。

甘える人が居ない環境。

それは自分の成長に役立ったと強く思う。


中学卒業後、昼は美容学校、夜は定時制高校に通った。

毎日睡魔との闘いの日々😄

確かその年の6月頃だったと思う。。

根本先生が水難事故で亡くなったと連絡が入った。

その日、生徒を連れて釣りに行ったらしい。

一人の生徒が誤って川に転落。

それを助けようと先生も川に飛び込み、、
残念ながら二人とも帰らぬ人になってしまった。。

生徒も可愛そうだが、、先生も3才の可愛いお嬢さんと奥様を残して、、、

お葬式に行った。

根本先生が『可愛いだろう?』と見せてくれたお嬢さんの写真。

そのお嬢さんが無邪気に遊んでる。。

『この幼いお嬢さんは、お父さんの事を知らずに育だっていくのか、、、』

そう思うと堪えきれず啜り泣いた。。

理不尽だと感じた。。

あんな良い人が何故。。

神様どうして???

葬儀の帰り道、泣きながら誓った。
『先生!せめて自慢の教え子になるよ!だからあの世で応援してくれ!』

そう心に誓ったはずだが……😭


自慢の教え子には程遠いたつGです。😭

気づけば先生の2倍以上の年齢になった。😄

60歳まで幸せに生きて来れたのは恩師、根本敏郎先生の存在があってこそ、、

これは紛れもない事実。

noteを通して、あの嬢さんに伝わったら嬉しいな〜、、、
(誰か知ってる人がいたらお願い。)

貴女のお父さんに救われた人間がここに存在する事を、、

貴女のお父さんは僕らのヒーローだった事を、、

お伝えしたい、、、、

施設の裏にある小さな丘。

希望ヶ丘。

その悲劇を忘れない為に造られた
お地蔵さんだそう。

先生は小さなお地蔵さんになった。

部外者は入れ無いと思い。

見える所から手を合わせた。

せめてお花💐でも、、あぁ〜後悔。。

🙏『自慢の教え子にはなれなかったけど、あれから幸せに生きて来れました。
有難う御座います。🙏
あの世に行ったら一杯やりましょう。。』

後輩の園児達に少しばかり差し入れも出来た。
(ほんの気持ち程度、、)

バイク旅のミッション、一つ達成です。。😌
充実した一日でした。。

まだまだ続く日本一周感謝のバイク旅。。

おやすみ😴なさい。



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