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どんなカメラでも写真は撮れるという暴力

Midnight Diary #26

今日のタイトルは少々挑戦的だ。
「どんなカメラでも写真は撮れる」
そうやって言う人は少なくない。
初心者を抜け出して、ある程度撮れるようになった人達からちらほらと出始め、もう10年もやってれば相当数の人がそう言っている。
僕もそれを本当の意味で理解したのは数年前のこと。
ライカM10を購入して3年が経ったときだった。
別にそう言ったことばかりを考えていたわけではないが、ある日突然「あ、俺ライカでいいや」って思ったのを覚えている。
それまで言葉ではわかっていたが、体感としてそれを落とし込めていたかというと、そんなこともなかった。しかし、この現代から考えると不便すぎるこのカメラに、なぜか突然そう思った。

「どんなカメラでも」とは言いつつ、その言葉の裏には、安いカメラであったり古いカメラといった、高価、高性能に対する皮肉が混じっていている。
また、本人たちは言わないが、そういったどこか斜に構えた態度やセオリーに乗らないことがアイデンティティであるという人も少なくない。
感想なのか誰かからの受け売りなのかわからないが、そういった事を語る人は多く、当然論理的ではないので聞くに耐えないと思うことはよくあった。

前に自称カメラマンとこの話をしていたら「とは言ってもライカ使ってるじゃん」と鼻で笑いながら言われたので、ムカついて一日貸したことがある。
「これで撮ってみて?」
使い方は僕と同じ。
背面モニターは使わず、露出はマニュアルでISO400固定。露出計は使わないといったルール。
当然、写真の確認もできない。
途中で可愛そうだと思ったので露出をオートにしてもいいと言ったが、頑なにそれを拒んで、あーでもないこーでもないと言いながら撮影をしていた。
本当は一週間くらい貸し出す予定だったが、早々に音を上げてしまったのでその日限りとなってしまった。
感想を聞くと「こんなカメラいらない」だそうだ。
それ以来、居心地が悪くなったのだろう。
別の界隈の人たちとは写活に行くが、僕とは全くと言っていいほど行ってくれなくなってしまったというのはココだけの話。

結局のところ、「どんなカメラ」の中には露出計や背面モニター又はEVFが付いていればといった隠しきれない事情が含まれている。
都合の悪いことは棚に上げ、さも正論かのように振りかざされては、ただの暴力にしかならない。
本当に写真を撮るだけの箱を渡されたときどうなの?と思う人は結構いる。
それに、あぁいう言葉は森山大道とかが言ってるからかっこいいのであって、無名のその他大勢の一粒が目先の何かしら欲しさに言ったところで、まぁちょっとした痛さを大衆にさらけ出す形になるだけだ。
「言い切るやつは頭が悪い」そんな事を誰かが言っていたのを思い出した。

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