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#17 「見知らぬ街で」南スーダン陸上選手

「スポーツ✕ヒューマン」の編集長時代にHPの為に書いた文章です。

見知らぬ街で、君に出会った。君をもっと知りたいと思った。

南スーダンからやってきた4人の陸上選手を追いかけた600日。南スーダンはあまりに離れていて、選手たちも最初はどこか縁遠く感じる。

でもそれはすぐに変わる。アブラハムはしっかりとしたお兄さんで、ルシアは繊細な女の子。番組が終わる頃には、すっかり友達のような気持ちになっている。

アブラハムの真っ直ぐな夢。ルシアの揺れる気持ち。マイケルの将来に向けた計画。家族を思う気持ちも、友人ができた喜びも手に取るようにわかる。悩みも、悩みとの向き合い方も、僕たちと何も変わらない。

そして何だか嬉しい。全然違うように見えた僕らは、とても似ている。そして気付く。違っていることは面白いし、似ていることは嬉しい。

離れているからこそ、僕らは近づくことができる。

「前橋の人たちは常に多くの愛情を示してくれたし、とても尊敬できる人たちです。私たちのそばを通り過ぎるときだけではなく、スーパーマーケットでさえ、お互いに道を譲り合うのです。尊敬の念をもって暮らし、他者に対する愛情を持てば、当然、平和に暮らせる。これが前橋で学んだことです」

初めての街に立った時、すべてはよそよそしく見える。道も人も店も、皆同じに見えて何の手がかりもない。道の真ん中で、途方に暮れる。でも。

少し経つと風景が変わって見えてくる。知ってる道ができて、会釈する人ができて、馴染みの店もできる。よそよそしかった街は、自分が知っているどこかの街に似ているように見える。そんな時、僕らの距離は近づいている。

主人公は南スーダンの選手たちであり、それを受けとめる前橋の人たち。知らなかった人たちと出会い、知らなかった国のことを考えるなかで、自分自身のことを考えていく。

南スーダンに無くて、前橋にあるもの。私たちが当たり前に思っているものが、南スーダンの若者には輝いて見える。もしかしたら、その逆も。

「オリンピックは平和のためのものです。人々が集まれば、異なる文化・人々、習慣について学ぶことができる。南スーダンと前橋のためだけでなく、私を支えてくれる人たちのために走り、走りの中で彼らを忘れないようにしなければなりません。最善を尽くそうと思いますし、常に彼らのことが頭にある」

できたばかりの国、まだ手にしていない平和。手にしていないから、真っ白なキャンバスに大きく描ける希望。それがちょっと眩しく思える時がある。

五輪やスポーツの意味って何だろう。それは例えば、誰かに出会うこと。そして何かを共にすること。南スーダンの民族対抗のスポーツ大会のように。見知らぬ誰かと出会って、その人のことを知りたいと思うこと。互いに大切にしているものを、シェアしようとすること。

見知らぬ街で、出会ったのは自分自身だった。

知らない君に会って変わっていく、新しい自分だった。

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