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はたしてあの結婚生活は「ただの無駄な時間」だったか

時々思う。あの13年間の結婚生活は、私にとってただただ無駄な時間をすごしただけだったのだろうかと。何も得ずに終わったのかと。

否。何も得なかったわけではなかった。
そのことを、母が教えてくれた。

母に言われてわかったのだが、知らず知らずのうちに私は、葬儀や法事関連の作法をインストールしていたらしい。

実家で暮らし始めて、まもなく父を失い、コロナ禍で姉や親戚が来られない状況だったあの頃、それは効力を発揮していたのだろう。葬儀から数日後、私は母から感謝の言葉をかけられた。

「あんだがいてくれて良かったよ。あんだはあっちの家で何回か葬儀出してるから、やっぱりわかってる」
「……私、何か特別すばらしい動きをしましたっけ?」
「そうじゃないけど。でもやっぱね、違うよ。『わかってる人』だった。だからすごく助かったのよ」

どのへんが? と具体例を聞きたかったけど、そういうことではなさそうだ。何かひとつ突出した出来事があったのではなく、まんべんなく上手く動けたということなのだろう。新人さんのたどたどしい感じではなく、何度か一緒に仕事をしたことがある人のよう、と言ったところか。

あの激動の日々で、少しでも母の助けになっていたのなら、13年間の結婚生活も活かされたということか。

  *

「あんだ、茶碗洗いながら、ついでに団子作ってみない?」

朝ごはんの片づけをしていた私に、畑へ行く格好をした母が提案した。明日は父の一周忌、という日のことだった。当日は近場の親戚がお墓へ行くだろうから、私たちは少し早めに行くことにしていた。

「いいよ」
こういうとき、すんなり受けられる生活をしていきたい。いつからかそう思うようになっていた。

家の仕事。母の頼み事。愛犬たちも含め、突然の体調不良になったときなど。そういう「家族のこと」を、ちゃんと優先していきたい。

突然の別れというのは、本当に突然やってくる。そのときになって後悔しないように――というのは、まず無理だ。どんなに努力しても、遺された者に後悔は生まれる。

だから家族のことを、後回しにしない。日々の営みも、なるべく疎かにしない。今やるべきことを、しっかりやる。

「そのとき」に後悔することが、なるべく小さく済むように。

  *

団子作りをするとき、思い出すのはかつての嫁ぎ先でのこと。葬儀や季節の行事が多かったから、しょっちゅう団子を作っていた。朝から親戚の女性たちが集まり、100個くらい作ったこともある。

まずお湯を仕掛けておくこと。
茶碗でひとつ、団子粉を別にとっておくこと。
丸めるとき、ぎゅっと握ってから丸めること。

毎回おまじないのように、それぞれが経験してきた団子作りのコツが話題にのぼる。

団子粉をこねるとき茶碗でひとつ粉を分けておくのは、ゆるくなりすぎたとき調節するため。
ただ丸めると必ず深いシワがつくから、ぎゅっと握ってから丸めること。そうすればシワがつかず表面がきれいになる。

「――お母さん、団子、できたから」
畑から家に戻ってきた母に団子を見せる。
「あら本当だ! 意外とあっさり作ったね」
「まん丸苦手で、どうしてもソロバン玉みたいになっちゃうけど。作るのはできます。私、初めてじゃないので」
「んだったね。お姉ちゃんの方がむしろ作ったことないべな。どうもネ、助かったよ」

――助かったよ、と母が言ってくれるたび、私の沈んでいた心は軽くなる。

「ほらお父さん、和珪わけいがこしゃだ(作った)団子だからね。食べらいん」
重ね団子を仏壇に上げる。
「不格好でどうもスンマセン」
「本当だね。でも不格好の方がホラ、重ねたとき安定するみたいよ」
母の純粋な褒め言葉に二人で笑う。

「良かった。あんだが団子作れるってわかって安心したわ」
「いつでもお申しつけください」

私にとってあの結婚生活が「無駄な時間ではなかった」とするならば、なんだったか。

今の段階で実感するのは、さしずめ「葬祭マナー強化合宿」だったと言ったところか。合宿に13年も費やしたのは長すぎだが。

だけどあの頃知らず知らずに身につけたことが今の母を安心させているならば、私としても少しは報われる。

もう終わってしまったことだから今さらなんともならないが。

時が流れ、心が落ち着きを取り戻していくたびに、ひとつずつ、あの頃得たであろう何かに、気づいていけたらと思う。


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