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みんな勉強しないらしいけど、僕は勉強をする

突然ですが、

みなさん勉強していますか?

「勉強」と一言で言っても色んな意味があり、勉強ってまずどんな意味で言っている?と言われてしまいそうですが、一旦それを差し置いてみても多くの人は勉強していないようです。

社会人は勉強してない?

勉強って何だっけ?ってふと思ったのであちこち検索かけてみたのですが、やたらと

「社会人は1日6分しか勉強していない!?」

みたいなキャッチーなタイトルの記事がたくさん見つかりました。

流石に嘘だろ...

という気持ちになりました。

1日6分って週に1時間も行かないってほとんど何もできないじゃないですか。

歴史の本を多くの人が読んでいたりするとは思わないけれど、何かしらの資格や英語の勉強をしている人はそれなりにいるような...なのに平均にしてしまうとこんなに低く出るとは本当なのだろうか...。

これはよくある釣りのために変な記事が量産されているだけなのではと思い、データをあたってみることにしました。

元データをあたってみる

全く出典がない記事も散見されましたが、いくつかの記事では「平成28年社会生活基本調査結果」が出典と書かれていたので個々のデータを見てみましょう。どの記事には具体的にどのデータを参照したのか書かれていなかったので、なんか適当に最初の記事がパクられて増えたんだろうなと勝手にお察ししています。

いくつか適当にデータを開いて覗いてみました。おそらく最初の誰かは「男女,ふだんの就業状態,行動の種類別総平均時間-週全体,15歳以上」を見ていっているのだろうと思いました(ここまで明記してくれないと元データたどるのめんどくさいじゃんよ...)。

男女別のデータもありますが、シンプルに就業している人全員の部分だけ抜き出してグラフにしてみました。

小さくてだいぶ見づらいかもしれないですが、確かに「学習・自己啓発・訓練(学業以外)」という項目が1日平均6分でした...。

(正確に表現するなら、「調査対象となる15歳以上のうち、仕事を主としている人たちの平均勉強時間が6分」ということでした)

なるほど本当なのか...

※「テレビ・ラジオ・新聞・雑誌」は別項目なので、【毎朝日経新聞読んで情報収集しています!】みたいなのは別計上であるようです。

勉強は必要?

世の社会人はどうやら勉強していないらしい、ということは2016年の統計上言えるらしいです。

では、それは憂うべきことなのか、人々はもっと勉強したほうがよいのでしょうか。

敢えてこの問いに答えるのであれば、

自分自身が
必要だと思うなら必要だし
不要だと思うなら不要

だと思っています。

最初に見かけた釣り記事(?)は勉強する人のほうが年収が高いという別のデータも持ってきて、人々にスキルアップの何かを売りたげな記事展開が散見されました。

ですが、その類の勉強であれば真に必要に駆られればやるし、そう感じないならやらないというだけのことなのではと思うのです。

もっと言えば、そもそも勉強を「要/不要」の切り口ですら見れない事自体が少し卑しいと言うか、もったいないことのように見えるのです。

僕は勉強がしたい

なぜなら、人類が築き上げてきた叡智をもっと知りたいからです。

普段極々ありきたりな日常を過ごしていますが、こうした生活は、人類が何十・何百世代もかけて築き上げてきた知識や経験の賜物です。

何も知らなければ全く意識しないですが、少し関連知識があると

▶高層ビルはどうやって建てているのか
▶Netflixはどうやって動いているのか
▶人間とチンパンジーは違うのか
▶選挙に行くのはなぜ重要なのか

などなど、日常にいろんな疑問が湧いてくるのです。(あんまり良い具体例が浮かばなかった...)

誰かが積み上げて形にした成果に気づくことができるというのは、とても人生が豊かに感じられるというか、何よりとても面白いと感じます

イメージで言うと、普通の人にはただの赤ワインで対して違いがわからず深く考えないのに対して、ワイン通の人は細かな違いに気づき、それを嗜み楽しめるようなものだと思います。(ちなみに僕はわかりません)

ワインの知識自体もまさにここでいう勉強に含まれると思いますし、ワインだけではなくあらゆる知識が、自分の感度を高め、いろんな気付きや感性を与えてくれるきっかけになるはずです。

【例】
一時期、都市工学の本を手に入るだけ一通り読んだ
大学では政治・経済が専攻だったのでソフトウェア(社会制度)には関心があったが、ハードウェア(都市・インフラ)には解像度が皆無だった
本を読んだおかげで街歩いているだけで少し感じることが増えた

知るだけでは意味がないという批判があるかも知れませんが、役に立つとかこの際どうでもいいのです。

面白いから知りたい

これ以上でも以下でもないのです。NetflixやYouTubeを見て過ごすのとおそらく大して変わりません。動画を見ることに役に立つとかたたないとかの議論は持ち込まないのと同じです。

ですが、知識を得る面白さには、Netflixなどのコンテンツを消費するような刹那的な面白さ以上のものがあると思っています。

それは、

知っているものが多いからこそ、面白く感じられるものが増える

ということです。知識はどこかで繋がります。繋がったときにより多くのことを理解できた感じがどこかでします。この面白さがあるので勉強は辞められませんと僕は思っています。

例えるならば、世の中には知らないことがたくさんあるのです。そうした世界中にあるパズルのピースを集めて繋げていくような、そんな楽しみがあるように思います。

これはおそらく(ほとんど確実に)完成させられないパズルでしょう。でも少しでも見える範囲が広がってくると、もっと気になることが増えてくる、そんなサイクルがとても面白いのです。

もちろん面白いことばかりではなく、時には全然理解できず辛いこともあります。普通にNetflix漬けになることもあります。

ですが、

①勉強をして
②友達と話して
③新しいこと理解していく

ことの面白さをもっと多くの人が感じるようになると、もっと勉強する人は勝手に増えるのかなと思っています。

勉強は嫌だけど必要だからするものではなく、純に面白いものだ

こうした信念で僕は自分が好きなようにいろんなことを勉強していこうと思っています。

勉強をしない人が多いというのを見て少し悲しくなり、自分の考えていることについて筆を取ってみました。

役には立たないかも知れませんが、「これ面白い!」と思ったことを好きにこれからも書いていければと思っています。最後まで読んでくださりありがとうました。

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