見出し画像

#31 どうしてホームスクールなのかしら 

『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第31弾
どうしてホームスクールなのかしら


「できるまで練習するよ。苦手をつぶしていくよ。
できたら合格。次のステップへ。」

 どうも、そういう姿勢は性に合わないみたいです。
 苦手は苦手のままでも大丈夫。今、できなくても大丈夫。
 大切なことは、「苦手だな」と知っていること、わかっていること。
 「できなかったことがある」と知っていること、わかっていること。

 ホームスクールで暮らしていると、日々、自分とつきあっていることがほとんどかなって思っています。そういう性分なんだと思います。


場を共有する
時間を共有する
瞬間を共有する
感動を共有する


 我が子と暮らしている時間を持ちたい。そうやって過ごしたいとわたしは感じています。だからホームスクールでいたいのでしょうね。
 現代社会で忙しすぎる生活を強いられるこどもたちには、「時間を与えたい」と強く思いました。社会に合わせるのではなくて、こどもがこどもらしく過ごす時間のために、と。
 そういう始まりなので、なんとなく「社会に適応する」ことからは意図的に距離を置いているといえるかもしれません。

 「家庭を基盤とする」というのはそういうことです。
 「社会」や「学校」や、「世間」や「常識」や「流行り」が基盤ではないっていえるかな。そうかな。

機が熟した時がそのとき

 必要な時には、いろんな場と空間と機会を活用していく気があれば、それは必然に、偶然が訪れてくる、機が熟したらやってくる、、、そう信じてやってきています。なぜなら、本人の状況を横に置きながら、親が期待をかけるときは必ずといってよいほど、合致しませんし、本人にとっての「今!」というタイミングは、親の目からは「今なのかーっ」っておどろくときばかりだったから。
 そのとき、「世間一般の時間軸」は忘れます。比べられないからです。

 ユニークで、オリジナルな生き方をしてみても、いいんじゃないかな。
 たぶん、それをしているのはひとりではありません。

 ありかたは、みんな違うけどね。だからやっぱり比べようがない。
 ホームスクールはホームスクールだ、ってことだけね。


ここから先は

0字

「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…

ここまでお読みくださりありがとうございます! 心に響くなにかをお伝えできていたら、うれしいです。 フォロー&サポートも是非。お待ちしています。