「自信が無くなった」。それは素晴らしいことだ!
「自信が無くなったよ…」「なんだって?」
「もう続けていく自信が無くなったんだ。自分には合ってないかもしれない」
初めての事に挑戦しているとき、それが好きなことであるとき。
自信を無くす時は意外とすぐに訪れます。
今、ここにある自分に疑問を抱くかもしれませんね。
そう感じることは、とてもとても素敵なことなんだと、とても思うのです。なぜなら、それは…
これまで、誠実に「それ」に取り組んできた証だから。「それ」を好きで、(できるようになりたい!)と望んでいる証拠だから。少なからず興味関心があって、始めたことのはずだから。
だから、ちょっと不安になるのは、とても大切なことなのね。
なんにも知らなかった最初の時より、できることが増えたね。
なんにも分からなかったけど、(あ、こういうことか!)と分かることが多くなったね。
(見えてないものが、分かったぞ。見えているぞ)と、自覚しているよね。
そう。
不安を覚えるのは
成長しているからなんだよ
その心は、今まで積み重ねてきた自分の成長を自負しているから生まれています。
これまでやってきたから、「できている」自分の姿が少なからずイメージすることができています。けど、まだ少し、イメージ通りには行かないことにも遭遇します。だってまだ成長途上なんだもの。
「自信が無くなってきた」時、その時
伸びしろがまだまだ残っている証拠
まだまだ成長するよ
もっと成長するよ
もっとまなび、気づき、発見が待っているよ
たのしみだね。今からが。これからが。
評価を求めなくていいのです。
結果に対して、その成果や貢献を誇示されることで評価される。
それは「ここに居てよい」と誰かに与えられる許可のことです。
そんなことより「ここに居たいと感じること」や「ここに居る未来の自分を好きだな」と思えることのほうが、ずっとずっとすてきなことだと思うんですね。
「好きなこと」が、いつだって褒められて、称賛されて、認められて…と、そんな他人にどうにかされるものだったら、どうなってしまうんでしょう。きっと、きっと。それはさみしいことだと思うの。
だって、それは「あなたじゃなくてもいい」メッセージだから。
あなたじゃなくてもいい。他のだれかでも「できる」「役に立つ」「評価できる」「貢献している」「すばらしい成果を出している」ならば、と、そんな意味を持つものになっています。
あなたはそれが「スキ」なのね
あなたらしくて、いいね
あなたらしく、進んでいるのね
あなたの成長は、あなた自身にしか本当は分からないことなのよ
他人からの評価は、その人が持つ「基準」に照らしあわしてみているだけなのだから。その基準が、あなたの持つ基準と近いかしら。遠いかしら。まるで別物かしら。どの基準も参考にはなるかもしれないけれど、絶対ではないよね。そんなことはないよね。
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