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#30 アンスクーリング。”学び”を感じるとき

『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第30弾
アンスクーリング。”学び”を感じるとき


 時間割がありません。 
 カリキュラム(体系)がありません。
 そんなホームスクールのスタイルを”アンスクーリング”とよんでいます。

 「学びを選ぶ」「学び方を選ぶ」。そんなフレーズをよく目にするようになりました。その通りなのだけど、私も確かにこれまでそういった表現をしてきたと思うのですけれど、どこかなんだかほんのすこ~しだけ違和感を覚える気がして。どうしてなんでしょう。


 ホームスクールは、こどもを取り巻く環境を整えることから始まります。

本人の意志と選択があること
本人の判断と決定があること
必要な手助けがあること

 ホームスクールは、親と子で共に作り、整えていきます。

親の意志も、子の意志も、互いに尊重しあえること

 それって、とてもたいせつだなって思います。
 実はなかなかむずかしいことだから、たいせつに想って過ごすほうがいい。


 アンスクーリングは「教育法」と言うには、指導的な部分を持ちません。 教育的…という表現もそぐわないと感じます。「教育」や「指導」からもっとも離れたところだからです。
 上下支配関係や師弟関係から脱することは最も重要なことになるでしょうね。なにより、社会的立場としての「子」ではあるのですが、その存在は、小さい大人でもないし、未熟な人間でもないし、そのような視線を浴びないからです。
 知らないことは当然あるし、だから判断に未熟なことはもちろんあるし、価値観はこれから広がっていくし、身体機能的にも発展途上です。それらは大人もこどもも同じことです。優劣も、先輩後輩も、若輩という観念もなく、そこには、ただただ、”違い”があるだけです。



 「学び」を意図しない日々のなかで、いろんな経験を得るわけですが、ある日突然、なにかとなにかが結びつく瞬間があります。
 それが、もっとも”学び”感じるときです。時間的には数年を要するものです。それを実感するので、体系的なカリキュラムで得ようとするのはとても難しい類なのです。
 「あのときのあれ」と「今、わかったこれ」が結びついて、「あ!そうだったのか。」と腑に落ちる瞬間です。

腑に落ちる瞬間

 これは、個人のなかで起こる出来事で、他者から与えられるものではありません。

 自分のなかで起こること。
 そういうことに、とことん出会っていく感覚を非常に大切にしているのが、アンスクーリング暮らしかなって思います。

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「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…

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